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歴史・文化

更新日: 2012年1月11日
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掛川城天守閣

掛川城

 室町時代中期の文明年間に、駿河の守護大名今川氏が家臣の朝比奈氏に命じて築城させたと伝えられています。明治維新とともに廃城となりましたが、平成6年に日本初の「本格木造天守閣」として復元されました。
 
掛川城御殿

掛川城御殿

 城主の公邸、藩の役所、公式式典の場などとして使用されていました。現存する御殿は、江戸時代後期に再建された建物で、全国で数カ所にしか残っていない大変貴重なものとして、国の重要文化財に指定されています。
 
二の丸茶室

二の丸茶室

 二の丸茶室は掛川城公園内にあり、木造平屋建、一文字葺の伝統的な数寄屋造りの建物で、景観と調和した趣のある茶室です。
 
大手門

大手門・大手門番所

 大手門は天守閣に続いて平成7年に復元されたものです。掛川城の表玄関にふさわしい桜門造りの本格的な櫓門は、木造日本瓦葺き入母屋づくりです。白壁で板ひさしが配され、棟上にはシャチ瓦が飾られた勇壮な構えです。
 
竹の丸

竹の丸

 竹の丸は、天守閣や本丸など城の中心部に通じる道筋にあたり、防衛上重要な場所であったことから、家老など重臣の屋敷地に割り当てられていました。
 
大日本報徳社

大日本報徳社

 二宮尊徳の唱えた報徳思想の普及をめざし、困窮にあえぐ農民の救済をめざした報徳運動が全国に広まりました。明治初期、報徳運動の中心機関として大日本報徳社がこの地に設立されました。
 
川坂屋

川坂屋

 日坂宿の旅籠屋で、江戸時代の面影を遺す数少ない建物のひとつです。江戸より招いた棟梁の手で、精巧な木組みと細やかな格子が造作されたといわれています。身分の高い武士や公家などが宿泊した格の高い脇本陣格であったことが伺えます。
 
萬屋

萬屋

 もっぱら庶民の泊まる旅籠でした。間口が四間半であり、幕末としては中規模の旅篭です。江戸時代そのままに、一階が「みせ」や「帳場」で、二階には宿泊のための「座敷」などを今も残しています。
 
藤文蔵

藤文

 日坂宿最後の問屋役を務めた伊藤文七邸の土蔵です。 明治4年、郵便制度が発足すると同時に、日本最初の郵便局のひとつとなった建物と云われています。
 
久延寺

久延寺

 小夜の中山峠の中腹に位置する古刹です。山内一豊が関ヶ原合戦のきっかけとなる会津上杉征伐の軍を大坂より進めてきた家康をもてなした茶亭の跡や、その礼に家康が植えたとされる五葉松が残っています。
 
夜泣き石

小夜の中山

 「夜泣き石」伝説が残る中山峠は、急峻な坂の続く街道の難所でした。うっそうとした樹木に埋もれ、当時は山賊なども横行したため、大の大人でも峠越えは容易ではありませんでした。
 
高天神城跡

高天神城跡

 戦国時代に武田軍と徳川軍が激しい争奪戦を繰り広げた地として有名です。標高132メートルの鶴翁山の地形を巧みに活かした高天神城は、「難攻不落の名城」とよばれていましたが家康の兵糧攻めに遭い落城しました。
 
横須賀城跡

横須賀城跡

 戦国時代末期、徳川家康が高天神城攻略の起点として、家臣の大須賀康高に命じて築かせたお城です。大手門が東西にあることから、「両頭の城」との異名をもっています。その後280余年に渡り横須賀藩の中心であった横須賀城は、明治維新とともに廃城となりました。
 
町番所

横須賀町番所

 横須賀町番所は江戸時代、藩の役人が横須賀城地内に出入りする人を監視する目的で、横須賀城南に接した町との出入口近くに造られました。現在は市指定文化財として、大須賀支所北側に移築されています。
 
清水邸庭園

清水邸庭園

 清水家の屋敷南に広がる回遊式庭園は江戸中期に造られたものといわれ、湧水を巧みに取り入れ、水の豊かさ、清らかさが映える名園です。茶室では美しい庭園を眺めながらお茶を楽しむことができます。
 
龍華院大猷院霊屋

龍華院大猷院霊屋

 明暦2年、嗣子のない掛川城主北条氏重が三代将軍家光の霊を祀り、家の存続を願ったといわれる三間四方の方型造りの霊廟です。文政5年に掛川城主太田資始により再建されました。
 
事任八幡宮

事任八幡宮

 古くから、「願い事のままに叶う」というありがたい神社として、平安時代の清少納言の「枕草子」や鎌倉時代中期の歌人阿仏尼の「十六夜日記」等、多くの紀行文に登場する神社です。東海道を往来する人々が参詣しました。
 
龍尾神社

龍尾神社

 龍尾神社は、掛川城の守護神として歴代城主が崇拝した神社として知られています。併設されている花庭園では2月から3月にはしだれ梅が、6月から7月には紫陽花が咲き誇り、多くの人で賑わいます。
 
八坂神社

八坂神社

 応徳2年創建されました。毎年10月の第1土曜日・日曜日には、京都八坂神社の祇園祭を伝承する八坂神社祇園祭が行われており、県の無形民俗文化財に指定されています。
 
三熊野神社

三熊野神社

 文武天王の皇后に由来する荘厳なたたずまいの神社です。その後数百年を経て横須賀城が築城されると、歴代城主、家臣、近隣の人々の深い信仰を集めました。災難除、子授け、安産、縁結びにご利益があるといわれています。
 
秋葉神社 掛川遥拝所

秋葉神社(掛川遥拝所)

 秋葉神社は火防の神として全国から信仰を集めています。平成22年に秋葉神社掛川遥拝所が落成しました。この遥拝所は講をつくって秋葉山詣をする人の道標でもありました。
   
太田家家臣の墓

太田家家臣の墓(正願寺)

 正願寺は、掛川城主朝比奈備中守が法華堂を建立し、身延山十三世宝聚院日伝上人により開山されたお寺です。正願寺には太田家の家臣の墓が600基から700基が祀られています。
 
本源寺

本源寺

 第10代横須賀城主、井上主計頭正就とその父親の墓塔が納められています。山門は江戸中期頃の形式を残す貴重な建造物です。
 
普門寺

普門寺

 慶雲元年、文武天皇の勅令による創建と伝えられる古刹です。弁天堂には諏訪・立川流の見事な彫刻があり、隣接する八所神社旧社殿と共に市の文化財に指定されています。
 
窓泉寺

窓泉寺

 宝永8年、初代横須賀城主大須賀康高が亡くなった妻を弔うために建立したと伝えられています。朱塗りの二階楼門は一間楼門、上層は桁行三間、梁間二間で、県の文化財に指定されています。
 
撰要寺

撰要寺

 天正9年、初代横須賀城主、大須賀康高が創建しました。大須賀家の高さ4メートルの墓をはじめ、45基が並ぶ墓塔群は県指定文化財です。また、山門は横須賀城の不開門を明治の初め廃城時に移築したもので、市の文化財に指定されています。
 
十九首塚

平将門十九首塚

 天慶3年、藤原秀郷が平将門一門19名を討伐してその首を弔った塚と伝えられており、昔は19基あったものが時代と共に減ってゆき、将門のものと思われる大きな1基だけが残されたといわれています。その後、将門の首塚を取り囲むようにして18基の首塚が新しく作り直されました。
 
晴明塚

晴明塚

 遠州七不思議のひとつで、平安時代の陰陽師「安倍晴明」にまつわる塚です。退病にご利益があるといわれる不思議な石の伝説があり、市の文化財に指定されています。
 
遠江塚

遠江塚

 慶長8年、徳川家康の異父弟である掛川城主松平隠岐守定勝の長子遠江守定吉を供養するために築かれた塚です。塚は古墳時代中期頃に造られた権現古墳の墳丘を利用したもので、上に五輪塔がすえられています。
 
和田岡古墳群

和田岡古墳群

 原野谷川右岸の河岸段丘上の南北約2.5キロメートル、東西約1キロメートルの範囲の中に、前方後円墳4基、円墳16基、方墳3基が確認されています。これらの古墳のうちの前方後円墳4基と円墳1基が、和田岡古墳群として国の史跡に指定されました。
 
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