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第360回 結いの心、自治の心

2012年3月30日更新

掛川市理事 松井 孝

平成10年、首長が選ぶ全国自治体アンケート「元気な自治体番付」で、当時の掛川市が生涯学習によるまちづくりで「東の横綱」に番付された。その時の「西の横綱」は宮崎県綾町であった。綾町は、山林が80パーセントを占める人口8,000人ほどの町である。雇用の中心は林業によって成り立っていたが、戦後の機械化の進展よって就労の場は失われ、「夜逃げの町」とまで言われていた。そんな折、町の経済効果を優先した森林伐採の話しが持ち上がった。当時(昭和41年)、町長に就任した郷田實氏は、自然の生態系に畏怖の念を抱いており、一時の経済効果より自然界が綾町民を育んでくれているという強い信念が、伐採阻止への取り組みとなり、これが発端となり住民に真の自治とは何かを訴え続けた。

当時の綾町には行政への寄りかかりが随所に見られ、これを何とかしなければ自治の心は育たない、「犬の死骸くらい自分たちで片付けなさい」というのが、郷田町長の強い思いであった。郷田町長は「昭和30年代半ばくらいまでは、自らを治めようという「結い」の心が残されていた。経済の高度成長で人々の生活が豊かになればなるほど、自治の心がなくなり、自分さえよければいいという心になってしまった」と嘆く。「結い」は、人々の心と心を「結ぶ」に通じ、かつては屋根の葺き替えや田植え、稲刈りなども近隣で支え合い、全国各地で慣習として引き継がれていた。

町長の思いが実を結び「自治の心」を蘇らせた綾町は、町民自らの取り組みによって「照葉樹林都市」「有機農業の町」「一戸一品運動の町」として全国に知られるようになり、かつて「夜逃げの町」といわれた綾町は、年間120万人以上の人が訪れるまでに変貌した。

自治の原型は「村の寄合」といわれる。かつて、村内での地域課題は村人たちが寄り集まって作業の段取りを決めて、実行するのも村人自身であった。近代社会へと社会構造が進化していく過程で、物事を決める議員と、実行する公務員の分担システムが確立し、自治体は住民から税金を預かり、住民自治のエージェント(代理人)として住民福祉の増進に応えてきた。自治の主体は、そこに暮らす住民であることは言うまでもない。しかしながら、いつしか行政への依存度が高まり、エージェントであるはずの自治体が主導し行政側からの一方的な働きかけが多くなった。自治とは「自らを治める」。すなわち、自ら(家庭・地域・団体・企業・行政等)の課題を自らの意思と責任に基づいて解決することである。

暮らしやすいまちづくりは、自らのこととして取り組む姿勢が大切であり、今や自治の確立と協働が求められている。失われかけた「結い」や「自治」の心を取り戻し、自立した住民主体のまちづくりを目ざした自治基本条例の制定が全国の自治体で進んでいる。掛川市でも、昨年10月に市民委員会からの答申をいただき、本年6月の制定を目ざして、現在「まちづくりの憲法」といわれる自治基本条例の制定に取り組んでいる。

増補版「結いの心」 子孫に遺す町づくりへの挑戦 著者 郷田實・郷田美紀子と書かれた表紙の画像
宮崎県綾町のまちづくりを紹介した「結いの心」(評言社)
著者 郷田實・郷田美紀子

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