総合トップ記事第395回 2011年3月11日 東日本大震災 被災地視察

第395回 2011年3月11日 東日本大震災 被災地視察

2012年11月9日更新

掛川市土木課長 榛葉 孝男

私は、平成24年5月3日から5月5日、東日本大震災被災地、岩手県(陸前高田市、奥州市、大槌町、山田町)そして宮城県(名取市)を視察する機会を得ました。少し時間がたちましたが、その状況を報告します。

震災から1年を経過した市町の状況について

津波に流され、更地になった街の様子。所々に家の基礎や雑草が見える。

大津波が襲来した市町は、海の底の砂を巻き込み真っ黒く濁った海水が防潮堤を越え家々を煙を立てて飲み込んでいった光景は想像を絶するもので現地に来て、あらためて自然の力の凄さを実感しました。被災されました皆様にたいし、お見舞いを申し上げます。
海岸部は防潮堤が随所で破壊され、津波の破壊力をまざまざと見せつけていました。また町並みが形成されていた所は、堅固な建物が外壁や窓が壊れ使用不能な状況で、所々に残っていました。一般住宅は、そこに家があったという証拠の基礎だけが残り、時間の経過が分かる形として雑草が敷地内に生えていました。

瓦礫の状況について

瓦礫は防潮堤付近や畑地であったと思われる所などに集積され山積みが、幾つも見え処理が進んでいない状況でした。静岡県が受け入れを予定している山田町、大槌町では、35万9千トン、70万9千トンが仮置きされており山田町は公園及び民間借地、面積22ヘクタール(東京ドームの約5倍)に仮置きされ、大きなものは機械で分別するが、最後は人力による手作業で行っていると聞き、瓦礫の多さに気の遠くなる思いがしました。また、気温が上がる夏場では、異臭や害虫が大量発生し駆除が大変で処理が遅れるとの話を聞きました。
山田町の瓦礫は、通常の廃棄物の約67年分となり、現在(2月末)、処理できたものは、全体の約5%と処理が進んでいない状況です。改めて受け入れ先の問題はあるが、広域処理の必要性を痛感しました。

津波により、骨組みだけ残った建物の様子

復興計画について

大槌町の復興計画は津波防災の基本的考え方として「避難する、避難できる」を基本とし、従来の考え方から、仮に被災しても人命が失われず被害を最小限化する「減災」の考え方とするそうです。名取市も減災の考え方で「1次防御ライン」として数十年から百数十年に一度程度発生する津波への対策で人命、財産を守り、経済活動を継続させる。「2次防御ライン」で巨大津波が「1次防御ライン」を超えても、避難路への避難の時間を確保し、人命を守ることを目的としている。加えて、宅地・堤防・道路の嵩上げなど連続配置により経済的な損失を軽減させ、経済活動の早期復旧が可能な被害に抑える計画としているそうです。
視察から、半年がたちましたが瓦礫の処理が進んだ、復興が進み出したと言うような話がなかなか聞こえてきません。このような状況を皆さんが理解し、早く復興が進むことを祈っております。頑張れ東北、頑張れ日本。

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