総合トップ記事第426回 新幹線掛川駅誕生以降のまちづくりは「報徳の教え」により実現!

第426回 新幹線掛川駅誕生以降のまちづくりは「報徳の教え」により実現!

2013年6月7日更新

掛川市商工観光課長 綱取 清貴

昭和63年3月13日、新幹線掛川駅が開業し、今年3月開業25周年を迎えることができました。振り返ると、昭和52年新幹線誘致運動が正式にスタートし、10年以上に及ぶ誘致運動の結果、建設費用や資金を地元で負担する「請願駅」として、30億円もの市民募金が集まり、新幹線掛川駅が開業しました。当時、静岡県内には75の市町村があり、その内24市町村から大きな支援と協力をいただき、まさに地域の総力を結集した「市民駅」の誕生となりました。市民にとっては、新幹線掛川駅の開業は、夢の実現でもあり、生涯学習力の総結集として、市民総参加の地方の時代を先駆ける、郷土愛と熱意により達成した瞬間でした。

そして、平成5年12月、民間から約12億円の出資金を仰ぎ、東名掛川インターチェンジが開通しました。市の表玄関の機能を果たすことから、地域性と文化性を加味した景観とするため、城下町大手門風の料金ゲート、緑色の料金徴収所、火の見櫓風照明燈、50種2万本の大規模な樹林帯での緑化など、全国的にみても美しいインターチェンジの実現でした。

また、約400年前山内一豊公が築城した天守閣は、1854年の安政の東海地震により大半が損壊し、平成6年4月、140年ぶりに日本で最初に本格木造復元された天守閣として再建されました。今では、掛川市のシンボルとして市民に愛されており、多くの観光客が訪れる観光のスポットとしても位置づけられています。天守閣の本体工事費は約11億円かかっていますが、そのほとんどが寄進運動で募金が寄せられ、市民や企業の皆様の熱意と努力で実を結び、再び、東海の名城がよみがえり、城下町風まちづくりも併せて進めています。

報徳の教えの「至誠・勤労・分度・推譲」や二宮金次郎さんの楽譜と歌詞が書かれたパネルの画像
報徳の教え・・・四つの柱

思い起こせば、当時、誰もが不可能と考えていた新幹線掛川駅開業が契機となり、その後の大事業が次々に実現したことは、一つに「日本一のまちづくり」を目指し昭和54年4月、全国初の「生涯学習都市宣言」を行い、何事にも「生涯学習」をキーワードにしたまちづくりを市民総参加により実践してきたこと。そして、もう一つ大事なことは、掛川に根付づいた「報徳の教え」が日常生活のなかで伝えられ、二宮尊徳が体系的理想として唱えていた「至誠・勤労・分度・推譲」が、日常生活において活かされてきたことです。

このことは、当時、新幹線の駅を1戸10万円、企業等からの寄付などの募金を柱に、新駅をつくるという全国に例のない取り組みを実現させたことです。これは、報徳運動の「推譲」の精神といわれ「郷土、国のため、あらゆる面において、譲る心を持つべきであるという考えで、分度をわきまえ、少しでも他者に譲れば、周囲も自分も豊かになるものだ」というもので、熱い郷土愛があったこそでないかと推察します。

その、報徳の教えの拠点となる「大日本報徳社」は、今年5月11日「仰徳(こうとく)記念館」、「仰徳学寮」、「冀北(きほく)学舎」保存修復工事が終わり、リニューアルされました。先日、久しぶりに立ち寄ったところ、道徳門・経済門と刻まれている左右の門柱を通ると、きれいになった敷地内が広がり、正面には、国指定重要文化財指定の大講堂その隣には 仰徳記念館、仰徳学寮、冀北学舎、報徳図書館など、明治期を中心とした建物が一堂に現存しており、全国的に見ても大変貴重な存在といわれています。
どうぞ、「日本一のまちづくり」の源となる「大日本報徳社」に、是非一度お立ち寄りください。

大日本報徳社大講堂の正面の外観写真
大日本報徳社大講堂

仰徳記念館の外観写真
仰徳記念館

 

仰徳学寮の外観写真
仰徳学寮

冀北学舎の外観写真
冀北学舎