総合トップ記事第429回 日坂宿

第429回 日坂宿

2013年6月28日更新

掛川市監査委員事務局長 清水 眞佐臣

最初に掛川市日坂(にっさか)の地名ですが、東海道の難所であった小夜の中山峠の「西坂(にしさか)」からきており、「日坂宿」は、品川宿より25番目で、「掛川宿」と併せ、2つの宿場町が掛川市地内にあります。
現在、日坂では家々に屋号を掲げ、本陣跡(扇屋)の門、下木戸の高札場を復元し、旅籠「川坂屋」、旅籠「萬屋」の整備など残された遺構を保存しておりますので、「久延寺」、「小夜の中山峠」、「夜泣き石」などの散策と併せ、ぜひ、足を運んでみて下さい。

大きな御神木と事任八幡宮の画像
事任八幡宮

それから、日坂といえば、「事任(ことのまま)八幡宮」(宮村地内)があります。以前、八幡様が「パワースポット」ブームで人気を集めていることが新聞に掲載され、「言葉のままに願いがかなう」という神社の言い伝えにあやかろうと、週末には500人以上(以前は1日50人程度)が訪れる日もあると紹介されました。
さて、私の実家は、本陣跡(扇屋)から約50メートル西の「問屋場跡」にあります。このため、日頃から「東海道五十三次」という言葉にすぐ反応し、「日坂宿」の項目を探します。先日も、歌川國芳の「其のまま地口猫飼好五十三疋」の手ぬぐいがあったので、「にっさか」の文字を確認し、すぐに購入してしまいました。

 

鳥居前から写した事任八幡宮の写真
事任八幡宮

問屋場跡の説明が書かれた看板の画像
問屋場跡

ネコが描かれた手ぬぐいの画像
「其のまま地口猫飼好五十三疋」の手ぬぐい

 

そして、我々日坂育ちの多くの人は、八幡様と云えばお祭り(例大祭)を連想し、お祭り好きが郷土愛をより強くしているようです。お正月に実家へ帰らないのに、お祭りには必ず里帰りするのは、私だけではないと思います。
近年は、お祭りに参加する子供の数が減り、ちょっと寂しい気がしています。私たちが日坂小学校を卒業した47年前は、同級生が60名いましたが、本年度の卒業予定者は9名(全校生徒数64人)だそうです。当時、実家のある本町区(約40戸)だけで9人の同級生がいましたので、時の流れを感じています。それでも、お祭り当日には里帰り組の子供たちが盛り上げており、平成19年には御遷宮1200年を記念して屋台(山車)の八町連合運転が50年ぶりに復活され、地域住民の交流の場も広がっています。
私も以前は屋台の引き手で参加していましたが、近年は腰痛が気にかかり、屋台の周りでうろうろし、旧友との再会を楽しんでいます。また、先輩宅で、江戸時代の名物「わらび餅」をお祭り限定で再現してくれるので、それも楽しみにしています。
本年も9月13日・14日・15日に予定されており、日坂っ子の血が騒ぎます。

50年前のモノクロ写真で、提灯がたくさんついた山車に人が乗り、それを見ている人たち
50年前の様子

50年前のモノクロ写真で、止まっている山車に人が座っている
50年前の様子

 

50年前のモノクロ写真で、山車を見ている人たちの様子
50年前の様子

50年前のモノクロ写真で、山車を引いている人たちの様子
50年前の様子

 

閲覧履歴

このページと
関連性の高いページ