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第442回 市民課の朝

2013年9月13日更新

掛川市市民課長 山崎 えみ子

「私たちは、みなさんに支えられているから今日の日があります。
すべての方に感謝し、今日も笑顔で対応しましょう。対応は、親切丁寧にしましょう。」

市民課の朝はこの言葉で朝礼が始まります。課に配属された初日には、大変驚きました。
掛川市は平成19年(旧掛川市は昭和54年)生涯学習都市として「お互いは何をなすべきかといつも問いかけあいながら一生涯学び続けていこう」と宣言いたしましたが、その思いがひたひたと流れるような朝礼の第一声です。

そこで、改めて今まで私を支えてくれた人や物を思い起こし、感謝の気持ちを記させていただこうと思います。

私が掛川市役所に奉職した当時は、ロッキード事件が起こり、田中角栄前総理大臣が逮捕されるという大変ショッキングな出来事がありました。
当時の地方議会においては国会と同様、多くの自治体で書記席に座る『速記者』によって議会会議録を作成しており、私も速記者として掛川市の議場で記録業務を担当しました。
ここで少し速記のことについて触れさせていただきます。速記の歴史は今から130年以上前の明治15年、田鎖綱紀が「日本傍聴記録法」を発表し、その後、多くの方がそれぞれの速記法を考案され発展しました。帝国議会での速記官の定着、さらに言文一致の大きな推進として三遊亭円朝の講談「怪談牡丹灯籠」の速記録などは、政治や文化の担い手として速記が大変活躍した頃の話です。
その後昭和30年代に入り、テープレコーダーという庶民にとっては夢のような録音機の誕生がありました。当時、私の叔父が小型のテープレコーダーを購入し、従姉妹との会話をおもしろがって録音しては再生し、「おかしな声だね」などと言って楽しんだことを思い出します。その後しばらくは録音テープの時代でしたが、現在ではICレコーダー、音声認識装置が会議録作成の機器になりました。携帯電話に向かって話し、言葉を認識され、課題解決につながるなど、数十年前には考えられなかった光景です。
そのような時代の変遷はありますが、昭和の後半から平成に入る頃は速記の専門学校が全国にあり、『知らない言葉は聞こえない』という普遍の教えを恩師の故石川校長から受けることが出来ました。

紙に1つ1つ違う文字のような線が書かれている
「知らない言葉は聞こえない」

ミミズがはっているようですが

「知らない言葉は聞こえない」

と 読みます

日常生活の中では、聞こえない言葉なんてあるの?と思いますが、専門的な言葉や難解な言葉は、全く聞き取れない、即ち聞こえなくて、速記者は不完全な記録原稿しか作成できないということになります。記録作成者は日々学習し、知らない言葉をなくして完璧なものをいかに作れるかが勝負と言えます。そのためには、いつもいろいろなことに興味をもち、難解な言葉とその意味を深く理解していかなければなりません。

「新しい言葉を覚え視野を広める」ことを自分の楽しみにしながら、今日まで多くの先輩や同僚、後輩に支えられてきたこと、そして明日からも支えていただける幸せをかみしめ、職員として今やれることを一生懸命やっていきたいと思っています。 

市民課の朝礼に感謝!!!

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