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第481回 「竹の丸の思い出」

2014年5月30日更新

掛川市こども希望部付参事兼こども政策室長 松浦 伸明

思い出と言っても私が小学生の頃のことです。当時、私は、竹の丸の西側に住んでいて、そこに住む子どもの遊び場は、竹の丸、掛川城公園、報徳社、龍華院などで、街中にあっても自然豊かな遊び場がありました。
竹の丸での遊びは、正門から玄関までの広場は小砂利が引いてあり「缶蹴り」をしたものでした。今のように整備がされていないので、広場西側には比較的背の高い笹があり、また、東側にはツツジがあったので、缶を狙うため隠れる場所場所は豊富にありました。
中門を入った現在の芝生の中庭は、土の状態で小さな運動場のような場所でした。そこでは、地面に線を引く遊びの「宝踏み」や「陣取り」をしました。夏には、蝉の幼虫(名前の由来は知らないが「もんやー」呼んでいた。)を取り、家でふ化するのを楽しく見ていました。
日本庭園の真ん中には、小山があり、頂上の岩を囲むようにヒバが茂っていたため、中の岩の部分が空洞となり、秘密基地としては絶好の場所でした。自分達が入れるだけの穴を開けるため枝を折って出入り口を作り、帰りには折った枝で入り口を塞いで、秘密基地が見つからないようにして帰りました。大人になった今考えれば、誰が見ても子どもが遊んでいることはわかるものだったと思うと、これが秘密基地かと笑えてきます。
当時、竹の丸の建物中にも自由に入れたような気がしますが中に入って遊んだ事は思い出せません。戸外で遊ぶ事が常であった竹の丸での思い出の少しを紹介させていただきましたが、40年余も前の記憶で、記憶違いもあろうとも思いますので、その点はお許しをお願いしたいと思います。
今年度から掛川城周辺施設の指定管理者が呉竹荘にお願いすることになり、その一つの竹の丸の話題が上がるたびに、竹の丸を遊び場として過ごした思い出が浮かんできます。小学生の頃までいつも遊んだ場所だからこそ、懐かしく機会があるごとに訪れてみようかと思います。子ども時代に限らず、何度か訪れた場所で行きたくなる処が皆さんにもあるのではないでしょうか。その一つとして竹の丸を加えていただければと思います。

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