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第485回 町並み散歩してみませんか?

2014年6月20日更新

掛川市都市建設部付参与 佐藤 勝彦

重要伝統的建造物群保存地区に選定された歴史的・伝統的建造物が立ち並ぶ花沢地区の町並み
花沢地区の町並み

先日、新聞で「焼津・花沢地区」が県内で初めて、文化庁の重要伝統的建造物群保存地区に選定されたとのニュースが掲載されていました。全国には岐阜県高山市商家町や石川県金沢市の茶屋町など、多くの歴史的・伝統的建造物等が残り、それらが連続して建ち並ぶ景観を保存する町並み保存地区と呼ばれ、全国に約108箇所あります。

 

これまで静岡県には1箇所も指定地区がなく、常々不思議に感じていましたが、今回の指定で静岡の良さが認められて大変喜んでいます。しかしながら、地域ならではの個性や魅力を再生させ、あわせて住民の生活環境を守りながら保存していくには、多くの努力が必要であると思います。

ほとんどは江戸時代以前に町の骨格が形成され、幕末から明治・大正時代に建てられた建築がある程度残っている町並みを「歴史的町並み」と言うそうです。しかし、明治期に西洋化する中で生まれた神戸や長崎、函館などの町並みも保存の対象とされています。

固ぐるしい表現をすると、文化財保護法でいう伝統的建造物群保存地区とは、城下町・宿場町・門前町・寺内町・港町・農村・漁村などの伝統的建造物群およびこれと一体をなして歴史的風致を形成している環境を保存するために市町村が定める地区を指します。

この制度は、文化財としての建造物を「点」(単体)ではなく「面」(群)で保存しようとするもので、保存地区内では社寺・民家・蔵などの「建築物」はもちろん、門・土塀・石垣・水路・墓・石塔・石仏・燈籠などの「工作物」、庭園・生垣・樹木・水路などの「環境物件」を特定し、保存措置を図るものであります。

今回、ゴールデンウィークを利用して、比較的近県にある町並み景観を散歩してみました。

1箇所目は岐阜県美濃市。ここは「うだつの上がる街」として、金森長近によって造られたもので400年の歴史を持っています。一番町と二番町、それをつなぐ4本の横町によって目の字型となっています。町は上、中、下に三区分され、高山の町並と似ていました。この町は丘の上にあるため水の便が悪く、古来度々の火災に遭いました。特に享保8年(1723)の大火によって町は全滅しました。その時、町民の防火意識の高揚により一番町、二番町の道幅を従来の二間から四間に拡幅することになりました。この時の町並が現在の町並だそうです。この町は防火が大きな問題であったため、家々は両家に卯建(うだつ)を上げるようになりました。次第に凝った装飾が施されるようになり、卯建は富を象徴するものとなっていったそうです。卯建軒飾りや格子、引き上げ大戸などに施された豊かな意匠や造形が美濃和紙全盛期の繁栄を今に伝えています。当日は市政60周年ということで、市内各町から山車がでてお祭りを行っていました。観光客とともに地元の人たちも集まって賑わいのある町並みを見ることができました。多分普段はもっとひっそりしているのでしょうが。

岐阜県美濃市のうだつの上がる街並の散策地図のイラスト

岐阜県美濃市の市政60周年記念のお祭りで山車が出ている様子
祭りと町並み

火災の類焼を防ぐために屋根の両端を高くした防火壁のうだつ
凝った装飾が施されて卯建

 

2箇所目は岐阜県郡上八幡市。郡上八幡は戦国時代末期に八幡城が築かれてから、城下町として発展した。寛文年間より、防火用の用水路が町の中を縦横に流れ「水の町」を形成している。山之内一豊の妻「千代」の生誕の地であるともいわれています。

重伝建地区である北町は、八幡城の西に広がる城下町で、三方を川に囲まれています。南北に三つの通りが走り、その通りに沿って東から柳町、中央が殿町でともに武家地とされ、西の通りに沿った職人町、鍛冶屋町、本町など町人地だったとのこと。建物の多くが大正時代の大火後に建てられたもので、防火のための袖壁や、軒先の防火用バケツが印象的でした。

防火のため隣の家との間に袖壁がある
防火の袖壁が残る町並み

八幡城の東の城下町 柳町の古い町並み
武家地の柳町

 

3箇所目は、滋賀県近江八幡市。豊臣秀吉の弟の秀次によって城下町として建設されました。秀次は五年後に失脚、城も廃城となりましたが、町は近江商人の町として栄えたとのことです。近江商人たちは各地に店を出店しましたが、あくまで本拠はここ八幡にとどめたといわれています。今も新町通りや八幡堀周辺を中心として旧家や土蔵が散見されます。散見と表現したのは思ったより歴史的町並みは連続していませんでしたが、塀越しに見える「見越しの松」や「犬矢来」が残る一角は確かに重みのある風景でした。また、八幡堀はかつて武家地と町人地を隔てるものであったが、物資を運ぶ水路として利用され、「浜」とよばれる船着き場などが今も残されている。城下町時代からの碁盤の目の地割もよく残り、往時の姿を今に伝えています。

滋賀県近江八幡市の塀越しに見える松と犬を追い払うための犬やらい
塀越しに見える「見越しの松」と犬矢来

八幡堀の浜の船着き場の様子
八幡堀の浜

 

以前は観光地をそれとなく観光していましたが、訪れる土地の歴史や文化を事前に調べ町並み散歩をすると、実際に見るのもが新たな発見に繋がりとても新鮮です。

PS
掛川市内にも歴史を感じさせる町並みがあります。
次の写真にこころ当たりがありますでしょうか?

掛川市にある古い町並みの写真