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第500回 「甲子園」

2014年9月5日更新

掛川市福祉課長 戸田 誠

今年の「甲子園」第96回全国高等学校野球選手権大会は、雨天により2日間開幕が遅れましたが、各都道府県大会を勝ち抜いたチームにより記憶に残る熱戦が繰り広げられ、大阪桐蔭が2年ぶり4度目の優勝で幕を閉じました。

「静岡大会」昨年は、菊川市の2校「常葉菊川」対「菊川南陵」で決勝が行われ、「常葉菊川」が甲子園の切符を勝ち取りました。今年は、「掛川東」が3回戦でシード校を破り、4回戦では小笠との同郷対決にも勝利して、7年ぶりのベスト8入りを成し遂げた。「掛川工」は3回戦で第3シード常葉橘を苦しめたが、2対4でわずかに及ばなかった。我が母校の「掛川西」は第4シード校として、「16年ぶりの夏の甲子園出場」の目標に向けて大会に入った。初戦の2回戦は藤枝明誠に5対3、3回戦は浜松開誠館に8対1、4回戦は静岡市立に3対0、準々決勝も島田商に3対1と、好機を得点に結びつけるしぶとい攻撃で順当に勝ち進んだ。さらに準決勝では第1シードの日大三島を相手に4対0で快勝。決勝戦の勝利と「6度目の夏の甲子園出場」の期待が一気に膨らんだ。決勝戦は静岡を相手に2対3と惜敗。掛川西の「16年ぶりの夏の甲子園出場」はならなかった。

私(旧姓鈴木)は、昭和50年に掛川西に入学し、野球部に入部しました。同年の3月に開催された、第47回選抜高等学校野球大会に昭和36年以来14年ぶり2度目の甲子園に先輩達は出場し、1回戦で能登川に4対3、2回戦で天理に9対5で勝利し、静岡県代表としてアベック出場した静岡商と共に全国ベスト8入りを果たし、準々決勝では欲しくも堀越に1対5で敗れましたが、私にとって3試合在校生と共に甲子園で応援が出来た事は、高校3年間の素晴らしいスタートでした。 3年生として出場した、昭和52年第59回全国高等学校野球選手権静岡大会、秋・春の県大会に顔を見せなかった掛川西は、本番では弱かったが練習試合の勝率が抜群に良いためか、選手権大会の抽選会では第6シードに選ばれ、2回戦から登場することとなった。2回戦の川根戦は、新設された掛川球場での第1試合とあって硬さが感じられ2対1で勝利、3回戦の横須賀戦も7対2であったがやっと勝ったといえる内容であった。4回戦は、ベスト8進出をかけて榛原と戦い、延長11回3対2で延長戦を制し、ベスト8に進出した。準々決勝の相手は富士宮北、8対0で完勝しベスト4一番乗りした。いよいよ準決勝、今大会で大本命と評される静岡学園との対戦となった。両軍投手がともに好投し、互いにゼロ行進。1対1のまま、ついに延長18回まで決着つかず、炎天下での4時間、引き分け・翌日の再試合となった。再試合でも熱戦は続き、逆転、逆転の試合となり、9回、静岡学園は1点差まで追い上げたが、勝運は掛川西に味方してくれ、5対4で勝利した。「東海大一が有利」という大方の予想のなか、決勝戦が始まりました。4回に貴重な1点を挙げ、溝口の好投と内外野の堅い守備で1点を守り切り、堂々の優勝に輝き、13年ぶり3回目の夏の甲子園行きの切符を手中にすることができました。

昭和50年から昭和54年までの5年連続選手権静岡大会ベスト4の恵まれた環境の中で野球ができたこと、甲子園に出場できたこと、また、今でも続いている素晴らしい先輩・後輩の関係が私の貴重な財産です。

ユニフォーム姿の高校球児が町中をパレードしている様子。
町中連雀パレード

ユニフォーム姿の高校球児が首にメダルを下げ、並んでいる様子。手前に学生服の応援団もいる。
町中パレード後、旧市役所玄関前で優勝報告

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