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第524回 思い出

2015年2月3日更新

掛川市維持管理課長 山本和弘

昭和48年4月に掛川市役所に入所し、いよいよあと少しで定年退職を迎えようとしています。月並みな言い方ですが、本当に長いようで短かった42年というのが実感です。

入所した昭和48年の世の中の出来事と言えば、なんと言っても「オイルショック」と「トイレットペーパーパニック」です。車の燃料を入れたくても入れてもらえず、あちらこちらのガソリンスタンドを飛び回り、家ではトイレットペーパーの買いだめをしたような記憶があります。歌謡曲では、ガロの「学生街の喫茶店」やチューリップの「心の旅」が流行った年でした。また、掛川市の出来事と言えば、市役所に都市改造課が新設されたことや、新青田トンネルが開通したのもこの年で、本当に懐かしく思い出されます。

私は技術職員として採用され、これまでに数え切れない程の道路や河川の改良・修繕、そして橋梁掛け替え事業などに携わりました。そのなかで、今でも深く印象に残る事業が二つあります。

一つ目は、入所二年目に配属された建設部土木課で担当した、倉真地内の「貝ヶ島橋橋梁改良工事」です。これは、当時木製の狭い橋を鋼製の桁を使い、橋の長さ17メートル、幅員4メートルに掛け替えたもので、5ヶ月の工期と当時約1千万円の事業費をかけました。先輩や上司の皆さんに指導をいただき、さらに業者さんにはご迷惑をかけながら苦労して完成した橋で、できあがった時のあの感動、そして地元の皆さんの喜びの声が今も忘れられません。

昭和49年10月に撮影された貝ヶ島橋橋梁改良工事の架替え前の写真
「架替え前 当時の全景写真」撮影 昭和49年10月

昭和50年2月に撮影された貝ヶ島橋橋梁の完成写真
「完成 当時の全景写真撮影」撮影 昭和50年2月

 

二つ目は、平成5年に市街地整備課で携わった駅北土地区画整理事業に並行して実施された「ふるさとの顔づくりモデル土地区画整理事業」で、通常より質高く整備した「掛川駅前通り線」を担当したことです。

これは、掛川駅から掛川城を結ぶメイン道路のうち、連雀西交差点から緑橋までの約180メートルを、事業費約3億円を投入して幅員20メートルに整備したものです。車道部分は10メートルで、舗装材には中国福建省産の厚さ80ミリメートルの御影石を使用し、片側5メートルの歩道部分には、厚さ30ミリメートルのいぶし陶板を使用しています。併せて、信号機や照明灯等のデザインも城下町風に統一して設置しました。市街地での施工のため、工事期間中は騒音や埃により付近住民の皆さんにご迷惑をおかけしましたが、ご協力をいただき無事に完成できた時は感無量でした。このように局所的に大きな事業費を費やす道路事業は、多分最初で最後ではないでしょうか。数多くの事業の中で、私がその事業に巡り会えたことは、大変幸せなことだったと感謝しています。

(注)計画道路幅員は20メートルですが、両側1メートルづつセットバックのご協力をいただき、歩道歩行空間は片側6メートルで整備をしました。

標準横断面構成の図
標準断面図

平成9年頃に撮影された幅員20メートルに整備された掛川駅から掛川城を結ぶメイン道路
「完成写真」撮影 平成9年頃

今もその橋や道路を通ると、当時の思い出や完成の感動が蘇り、胸が熱くなってきます。そして、これからもこの気持ちは変わらないでしょう。本当に担当者冥利につきます。
40年以上にわたり携わってきました数多くの事業の中から、特に心に残るものをご紹介させていただきました。お付き合いありがとうございました。

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