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第525回 あなたはテレビで何を観ますか?

2015年2月6日更新

掛川市納税課長 栗田 一吉

1 テレビ視聴スタイルの変化

自分は近頃、新聞のテレビ欄を見なくなった。また、「○○時の△△という番組を観よう」ということもほとんど無くなった。最近、時間通りにちゃんとテレビの前に座って観た番組は、サッカー日本代表の国際試合ぐらいである(でもアジアカップは情けなかった)。
しかし、テレビをリアルタイムで観なくとも、トータルでの視聴時間は、むしろ従前よりも増えている。そう、レコーダーなるものが普及し、勝手に自分の嗜好を探っては、関心のありそうな番組をハードディスクに録り溜めてくれるので、時間に拘束されることなく視聴しているだけなのだ。今更ながら、便利な世の中になったものだ。
自分が鼻垂れ小僧だった昭和40年代初頭、ちゃぶ台前には足付きの1台のテレビ(注1について)が鎮座し、そこには家族全員が群がっていた。「自分は「ウルトラマン(注2について)」が観たかったのに、親がニュースを見るからと見せてもらえなかった。」などと言っても、現代の若い世代には、全くピンと来ない話であろう。自分としては、気持ちだけは若いつもりでいたが、知らぬ間に歳をとっていたということである。

スマホやiPadがどこでもTVになるSonyの宣伝。インターネット経由で日本のテレビ番組が海外で見ることができる。
ソニーのホームページより

しかし、家電業界の技術革新の速さたるや、自分が歳をとる速さどころの騒ぎではなかった。最新のBDレコーダーなどは、標準でインターネット経由で録画した番組をスマホやタブレットに配信出来るようになっている(注3について)。自分のレコーダーは、中古のソニー製だが、2年ぐらい前から後付けで、レコーダーのリモコン制御と動画配信を同時に行える機器「SlingBox350(注4について)」なるものを取り付けて、今はメタボ解消のために通っているジムで自転車を漕ぎながら録画した番組を観たりしている。

 

2 高度経済成長とテレビの歴史

昭和40年代初頭に使用されていたテレビの写真。テレビ画面の横にダイヤル式のリモコンが付属されている。
白黒テレビ

昭和40年代初頭は、日本全体が高度経済成長に突き進んでいた時代である。TV放送自体も発展途上で、掛川・小笠エリアでは、浜松局からの電波で観れたのは、VHFのNHK(1953年開局)の総合と教育、SBS(1958年)の3つしかなかった。その後、UHFでTV静岡(1968年)、静岡県民TV(現静岡朝日TV:1978年)、静岡第一TV(1979年)が順次開局するも、UHF用のアンテナと外付けUHFチューナー、それに加えてUHF信号をVHF波に変換するコンバーターが必要だった。当時の我が家は、古い白黒テレビだったので、外付け装置を買ってまでUHFを観るなんて夢物語だった。そんな中、欠かさず観たのは、毎週土曜日の夕方、SBSで放映していた「巨人の星(注5について)」だった。が、それを見終わると、UHFでは翌週分を放映していたので、よく近所の家に勝手に上がり込んでは、見せてもらったのを覚えている。
その後、大阪万博(1970年)から暫く経った頃になって、ようやく我が家にもカラーテレビがやって来た。UHF用チューナーも内蔵され、「仮面ライダー(注6について)」等観られる番組が増えたのは嬉しかったが、それ以上に総天然色は衝撃的だった。今まで、白黒の画面の端にこれ見よがしに「カラー」と表示されているのを見続けた身としては、まさに待ちに待った出来事だった。
しかし、それまで白黒で観ていた「ウルトラマン」や「巨人の星」に特段違和感を感じなかったのもまた事実。おそらく慣れもあるのだろうが、自分の頭が勝手に想像力を働かせ、白黒→カラー変換を行っていたのだろう。逆に、大人になってから再度観た映画「ローマの休日」などは、「これって、カラー作品じゃなかったんだ!」と思ったくらいである。

 

もののけ姫やエヴァなどアニメ作品のLD
再生装置がない我が家のLD(上はエヴァ2のBD)

また、今でこそ、テレビにリモコンが付いていないなんてことは考えられないが、当時のテレビにはリモコンなんて無かった。小学生の頃、ものぐさな自分は、寝転がりながら足の指で器用にチャンネルを回すという技を身につけたが、家族に見つかる度に「行儀が悪い!」とピシャリとその足を叩かれたものだ。ある時、「ズバコン(注7について)」がサンヨー電機から出たときなどは、本当にビックリしたし、親にも「買ってよー!」とせがんだが、とても貧乏人に買えるような代物ではなかった。
リモコンは、今やあらゆる家電に採用されるようになったし、現在のレコーダーの前身機同士の対決、いわゆる「ベータ対VHS」が話題になったのもそんなに遠い昔ではない。ちなみに、自分は負組のベータ党でした。その後は、レーザーディスクがDVDに置き換わりブルーレイまでもが登場。テレビ画面も液晶等が当たり前となり、ついには放送波そのものがアナログからデジタルへと変遷を遂げ、その解像度(精緻さ)もフルハイビジョン(2K)から4Kへ、ひいては8Kになろうとしている。大阪万博以降、四十数年来のテレビとその周辺機器における進歩は本当に凄かったし、振り返れば、隔世の感を禁じ得ない。

 

3 現代人は溢れるコンテンツの海を漂流?

YouTube、Hulu、ニコニコ動画、dビデオ、ひかりTVなどのネット視聴番組の一例
ネット視聴番組の一例

VHFで3局しか観られなかった時代を知る者にとって、現代は、少なくとも地上波6局、BS9局の計15局も観られる夢のような時代なのかもしれない。もっと観たければ、スカパー等有料チャンネルを契約しさえすれば、チャンネル数はいくらでも増やすことが出来る。更に、ネット環境下での有償・無償視聴、「YouTube」や「hulu」、携帯キャリアが提供する「dビデオ」等々まで含めれば、実に様々な番組が選択できるので、今や視聴可能なコンテンツは、その質はともかく、とにかく量だけは無限と言っても過言では無い。
しかし、コンテンツがいくら増えても、観る側の体は一つしかなく、時間だって有限である。四六時中テレビにぶら下がっていたり、マルチモニター環境下で聖徳太子ばりに一度にたくさん見聞き出来る人ならばともかく、一般人としては、時間を無駄にせず、本当に観たい番組だけを観たいものだ。要は、「テレビに観させられるのではなく、自らが何を観るか。」が重要なのである。

 

4 お気に入り番組から気付かされたこと

そこで、最近視聴したTVコンテンツの中から、特に自分が気に入っている番組を独断と偏見でおすすめしたい。余計なお世話とは思うが、どうか少しだけお付き合いいただきたい。

テレビ番組、未来世紀ジパングのタイトルバナー画像
番組ホームページより

(1)BSジャパン「未来世紀ジパング(注8について)」

テレビ東京系の番組。静岡エリアではテレビ東京系が観られないのが一番の難である。個人的には、年末の「池上彰の総選挙ライブ」が観られなかったのは本当に残念だった。
しかし、BSで再放送されるドキュメンタリーも一部ある。「未来世紀ジパング」は、海外の視点から日本を見るという経済番組。日経新聞がスポンサーであるため、対象の掘り下げは、他とはひと味違うレベルである。過日観たネパールの話題では、ナビゲーターとして日本経済新聞の後藤康浩編集委員が出ていた。どこかで聞いたことのある名前だと思ったら、2012年3月に「掛川駅木造駅舎を保存活用する会」がフォーラムを美感ホールで開いたときのゲストだった。その時の懇親会で自分も杯を交わしたが、さすがの人物と感じ入ったものだった。実は、後藤さんはその後も何度も掛川に足を運んでいるのだそうだ。掛川となんらかの接点を持ちながら、全国・世界で活躍している方をTVで拝見すると、こちらもなんだか嬉しくなってしまう。

 

テレビ番組、和風総本家の番組映像

(2)時々SBS(テレビ東京系)「和風総本家 世界で見つけたMade in Japan(注9について)」
これもテレビ東京系で、SBSでは2ヶ月から3ヶ月に一度、時々思い出したかのようなタイミングで放送してくれる。中身は、外国で使われているメイド・イン・ジャパンの道具等を探し出してきて、日本の職人には外国で使われている様子を、外国人には日本でその道具が製作される過程を見せるという番組。静岡県では滅多に放送されない番組で、バラエティなのだが、自分にとっては最近のお気に入りナンバー1だ!
過日の放送では、小さくて精巧な日本製のノコギリが、イタリアでストラディバリウス等の高価なバイオリンを修復する職人が愛用している様子が紹介された。バイオリンの解体時には極薄の刃を持つそのノコギリが欠かせないのだそうだ。そのノコギリの製造工程のVTRを観たイタリアの職人は、日本の匠の技に感心することしきり。一方で、日本の職人は、自分の作ったノコギリが時価2億円以上のバイオリンの修復に使われている様子を見てビックリしている。最後にVTR上でイタリアの職人から感謝の言葉をもらい、日本の職人は、笑顔と涙で顔がくしゃくしゃになり、ノコギリ作りを馬鹿にしていた娘からも見直され、またまた涙。これを見て自分も思わず涙腺が決壊してしまった。TV的には多少の演出もあるのだろうが、どの回でも日本の職人さんが見せる屈託のない笑顔が非常に印象的である。
この番組の良さは、日本の職人の技術力の高さ等を通じて、自分も含め日本人としての誇りを再認識することが出来ることだ。この番組も海外から日本を見つめ直すことで、日本を再評価しようとする試みであろう。日本には、まだまだ世界に誇れるだけの素晴らしい技術や文化がたくさんあることに気付かされる。
これを掛川に当てはめれば、掛川市の本当の良さを掛川市民が気付いていないこととも同義であろう。かつて、「Discover Japan(注10について)」という一大キャンペーンが打たれたことがあったが、これらの番組を観る度に、今一度、「深蒸し煎茶」や「茶草場農法」のみならず、掛川市にまだまだたくさんある良いものに目を向けてみたいと思わせてくれる。どうか皆さんも、是非一度、ご視聴してみては如何だろうか?

脚注

注1について

ここで言うテレビとは、勿論「白黒テレビ」のこと。当時のテレビには何故か4本の足が生えていた。スイッチを入れても真空管方式のため、画像が出るまでに30秒くらい待たされた。そんな初期の白黒テレビでさえ、その値段は、当時のサラリーマンの年収の約半分もしたらしい!

注2について

「ウルトラマン」は、1966年から放送。日曜夜7時、「タケダ、タケダ、タケダー…」のCMが終わると、「ウルトラマン」が登場。絵の具を洗面器に撒いたような画面がグルグルと回って、一旦「ウルトラQ」と表示された後に「ウルトラマン」と再表示されるオープニングは印象的だった。ウルトラマンはカラー作品だが、「ウルトラQ」は白黒作品。ちなみに、自分は中学の頃まで、制作会社名を「エンタニプロ」って読んでました(^^;)。

注3について

注4について 

「SlingBox350」製品ページへのリンク

従前は、D端子付きのレコーダーにしか対応していなかったが、最近ではHDMI出力を分岐するアダプター付きも発売され、汎用性が高まった。

注5について

「巨人の星」は、1968年3月から3年半にわたって放映された長編TVアニメ(カラー)。自分の記憶では、飛雄馬とライバルの対決で目に炎が灯ったら、心の声とBGMが延々と流れ続け、「結局ほとんど投げないまま、勝負は次週へ持ち越し」というパターンが多かったような気がする。

注6について

「仮面ライダー」の第1期は、1971年から放送(カラー)。自分の中で仮面ライダーと呼べるのは「V3」まで。21世紀になって登場した、「ねずみ男みたいな奴」や「バイクに乗らない奴」は、断じてライダーとは呼ばない!

注7について

1971年に登場した世界初のリモコン搭載テレビ。テレビ前面の円形のチャンネル部分が取り出せて、離れたところからチャンネル操作ができた。ちなみに、リモコンの方式は、赤外線ではなく超音波式!
余談だが、我が家でチャンネル争いが激化すると、チャンネル部分がはずれてしまい、中に金属の芯だけが残り回せなくなってしまうことがあった。チャンネル部分を確保した自分は得意満面だったが、程々にしないと、ゲンコツが飛んできた。皆さんも似たような経験をお持ちでは?

注8について

BSジャパン「未来世紀ジパング」番組ホームページへのリンク

注9について

「和風総本家 世界で見つけたMade in Japan」番組ホームページへのリンク

注10について

1970年10月から、国鉄が大阪万博後の乗降客確保を狙ってはじめた個人旅行促進キャンペーン。

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