総合トップ記事第534回 お茶のまちリゼ市(トルコ共和国)からのお客様

第534回 お茶のまちリゼ市(トルコ共和国)からのお客様

2015年4月10日更新

掛川市総務部長 釜下 道治

トルコ共和国のリゼ市から、リゼ市長をはじめ、リゼ商品取引所会頭や市内にある国営茶企業チャイクル社の副総裁、その他茶業関係者ら16人の皆さんが、3月4日から6日にかけて掛川市を訪れた。

日本の茶生産の現況と茶生産技術を確かめるとともに、自国並びに両国の茶関係者の交流を図ることが来日の目的とのことで、幕張メッセで開かれた「FOODEX JAPAN 国際食品・飲料展」を見学した後、掛川に移動し、東山の茶畑や粟ヶ岳、茶工場などを見学。さらに市内のカワサキ機工等の茶関連機械製造メーカー数社の視察なども行った。

リゼ市は、トルコの黒海地方に沿って延びる山脈の北側に位置するリゼ県の県都で、人口は掛川市と同じ約120,000人。海に近く、夏は涼しく冬は暖かい。年間を通じて雨量の多いこの地域は、トルコ最大の茶の生産地となっているとの説明を受けた。5日の夕方に、市内のホテルで開かれた情報交換会においては、チャイクル社(CAYは「茶」、KURは「機構」のトルコ語)のイメージビデオが流され、壮大で急峻な山岳地帯の雪上を滑降するスキーヤーと青い海と眩しい海岸線、港、広がる茶園でハサミを使ってのお茶刈り風景とともに、町の至る所でお茶を楽しむ人々の様子が映し出されていた。

トルコの黒海地方に沿って延びる山脈の北側に位置するリゼ県の位置を記した地図

あいさつの中で、日本とトルコには歴史的に深いつながりがあり、トルコは長い間日本に対する親愛の情を育ててきた国で、日本のことを特別に好きな国民性があると聞いた。この理由として挙げられるのが、明治32年(1890年)に起きた「エルトゥールル号事件」で、当時、オスマン帝国海軍のエルトゥールル号が日本からの帰国の航海中に、台風により和歌山県串本町の沿岸で沈没した。これにより多くの死者が出る惨事となったが、付近の住民たちの献身的な救助救援活動により、69名の乗組員が救出されトルコへ帰国することができたというもので、この話は、遠い国で受けた温情として、トルコでは歴史教科書にも載っているとのこと。一方、この100年後の昭和60年(1985年)には、イラン・イラク戦争の最中に孤立した日本人215人を、トルコの航空機が危険を顧みずテヘランに乗り入れ、間一髪救出してくれた。

自らを省みて、日本人は世界のことを知らなすぎる。現在のトルコは、経済的・政治的にヨーロッパの一員として、欧州連合(EU)への加盟を申請している。また、イスラム過激派組織・ISILが本拠地としているシリアは、南に隣接する国であり、直接的な戦闘行為は報道されていないが、トルコにとって、その影響や不安は切実なものかもしれない。

さて、トルコでは、90年ほど前に隣国のグルジアから茶樹が移入され茶生産が始まった。また、リゼでの生産は70年ほど前からとのことだが、現在はトルコのお茶のほとんどがリゼで生産され、このうち、チャイクル社がトルコ全体の65%超の生産を誇っている。トルコの茶生産量は220,000トンで、日本の約2.2倍だから、チャイクル社の生産量は、日本全体の量を上回っていることになる。

リゼ市長、リゼ商品取引所会頭や国営茶企業チャイクル社の副総裁、その他茶業関係者ら16人の皆さんと掛川市長との交流会

市長への表敬訪問や情報交換会の際には、リゼ市長から「掛川はグリーンティ、リゼはブラックティで、ティブラザーだ。シスターのまちとして交流に力を入れたい」と、国際姉妹都市提携へのラブコールもあった。これを機会に、お互いの町をよく知り合い、掛川市とリゼ市において、お茶を通じた新たな交流が広がることを期待したい。

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