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第555回 ある夏の暑い日(千浜海岸の昔)

2015年8月11日更新

掛川市水道総務課長 松下 仁

私が住んでいる千浜には海があります。子供の頃から慣れ親しんだ海岸が大きく変わってしまいました。今から約50年(半世紀)前を思い出しながら、当時の海岸の様子など記憶をたどりながら書き出してみたいと思います。

物語風に、当時の一日を振り返ります。
ある夏の暑い日の朝早く、「ほーい」「ほーい」の掛け声で目が覚めます。これは浜がある日(地引き網の船を出す日)に、網元さんか誰かがふれ(お知らせして)て歩いてくれていました。すごく響きが良く澄んだ掛け声が何とも心地良かった。今日は地引き網がある日だ。近所の仲間と「海にいくかー」と話がまとまり、早速歩いて出発です。圃場整備がまだされていない畑の中の道を南に歩いて行くと、軽便鉄道の駅(国道150号の所に千浜の駅があった)が見えてきました。線路を渡り、左に煮干し小屋を見ながらまっすぐ海を目指します。

しばらく歩いて行くと正面に「すか」(砂山)が見えます。この「すか」が第一関門です。急な砂山に足を取られながら進むと、少し下った所一面に「たまり」(水の溜まった場所で当時の呼び名です)があります。平らな砂地に雨が降ると水が溜まり、一面が池のような所で、この「たまり」が第二関門です。今日は深いなと思い半ズボンをたくし上げてもその上まで水が有り濡れながらたまりを過ぎると、もう一つの「すか」(第一線の砂山)の前まで来ました。これが最後の関門です。その「すか」を駆け登るとようやく海が見えてきました。そこから海岸線までは相当距離があります。砂が焼けていましたが裸足になり、必死で波打ち際まで競争です。

その時既に、地引き網の船は波打ち際に揚げられており、二手に分かれて網を引き始めていました。僕たちも大人衆に混ざり網引きを手伝いました。大人衆は貝殻を縄の先に付けたロープを腰に巻いて、そのロープを綱にさっと絡めて引くところがすごく格好がよかったです。

網の先端が見えてくると、僕たちは網からはみ出た小魚を拾うんです。イワシの子・アジの子を見付けると、ひょいと頭を取り、内蔵をさっと出して潮水で洗い口の中へ、最高のご馳走でした。

網の中からいろんな種類の魚が出てきましたよ。サバ、アジ、イワシ、など沢山穫れましたね-。魚は竹の籠に入れて、大人衆が煮干し小屋まで持って行きました。最後に船を木枠の上を滑らせて少し奥(海岸から離れた場所)まで移動して終了です。
これが、ある夏の暑い日の一日です。

地引き網の船に乗り込み海に出ようとしている様子

地引き網の船が沖から出ていく様子

 

こんな時代があったんですね。浜がある日は大人衆は弁当持ちで海に行っている日がありました。イワシの子は煮干しにして売ったり、珍しく子鮫が穫れた時はお裾分けがあり、夕食にサメの煮付けが出たことを覚えています。

今も昔も海が好きなことには変わりありません。残念な事に白砂青松の姿は少なくなってしまいましたが、今後も海との付き合いは続いていくものと思います。

一年を通しての磯釣り、春先にはこの地方の言い方で「ハタミ」の貝採りなども楽しみの一つです。

皆さんも、潮風薫る海岸線(千浜の海)に是非足を運んでみてください。風車とハマヒルガオがお出迎えしてくれますよ。・・・

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