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第565回 「地域の宝」、「市民の誇り」としての文化財

2015年9月29日更新

掛川市教育次長 松本一男

「そうだ 京都、行こう。」「いまふたたびの奈良へ。」と誘われると、すぐさま「行こう、行こう。」とその気になってしまう。なぜ、京都や奈良という土地には、私たちを引きつけて止まない魅力があるのだろうか。
「京都」や「奈良」という響きの中には、「古都」、「古い建物や仏像がある場所」というだけでなく、「普段の生活を忘れ、心を落ち着かせてくれる時間や空気がある。」、「日常にはない何か、を見つけることができる。」などなど、そこには長い時間の流れがあり、時には古の人々との関わりまでもが見えてくる、そんな魅惑的な薫りがするからだろう。
よくよく考えてみると、そうしたことは京都や奈良だけに限らず、歴史のあるまちや、時間や時代を重ねた建物や樹木、仏像、昔から伝わる文物、お祭りや歳時記といった、もっと身近にあるものにもいえることだ。

さて、掛川市内には市や県、そして国が指定した文化財がどれ位あるかを調べてみた。掛川市役所のホームページを開いて「市民の皆様」をクリック、その中の「学びと文化」、そして「文化財」の項目を開くと、掛川市内にある指定文化財一覧表と、その内容が記されている。それによると、平成27年4月1日現在、国や静岡県、そして掛川市が指定した文化財は、国が5件、県が31件、市が69件、合計で105件もある(一度、ホームページを開いてみてください)。
一言で文化財といっても、その種類は様々である。指定文化財の一覧表を眺めると、建造物、絵画、書跡、古文書、工芸、彫刻、考古資料、史跡、天然記念物、有形民俗、無形民俗といったいろいろな種類の文化財が並ぶ。先ほども記したが、掛川市には、国が指定した文化財(国指定文化財)は5件(建造物2、史跡3)。静岡県が指定した文化財(静岡県指定文化財)は31件(建造物8、絵画8、工芸3、考古資料1、史跡1、天然記念物6、無形民俗4)。そして掛川市が指定している文化財(掛川市指定文化財)69件(建造物15、絵画4、書跡4、古文書6、工芸4、彫刻5、考古資料1、史跡10、天然記念物17、有形民俗1、無形民俗2)と、かなりの数が指定されている。
参考までに、国と県、そして市の指定の違いを述べると、もちろん国指定が価値、評価において最も高く、次が県、そして市が続く。指定要件を少し書き記すと、国指定の場合、「「我が国にとって」あるいは「我が国民にとって」歴史上又は学術上、芸術上価値の高いもの。」となっている。県の場合には、「静岡県にとって」、「静岡県民にとって」であり、掛川市の場合には、「掛川市にとって」であり「掛川市民にとって」歴史上、学術上、芸術上価値の高いもの、となっている。このように、指定された文化財は、そのものの学術的、芸術的価値に加え、人々の営みの中でいかに歴史(時間)的な背景を持っているかも条件の一つとなっている。

前書きが長くなってしまったが、今回、身近にある文化財の中から、そうした時間や歴史、人との関わりを感じさせるものの話をいくつか紹介したい。
国指定文化財建造物(「重要文化財」と言う)の一つ、「旧遠江の国報徳社公会堂(大日本報徳社大講堂)」(平成21年6月30日指定)。建物は、明治36年に建てられた木造2階建ての和風建築で、現存する公会堂としては、日本最古の建物である。この建物は、建造以来、全国の報徳運動の中心的な活動拠点となっている。ここでは、報徳の4つの教え「至誠(しせい)」「勤労(きんろう)」「分度(ぶんど)」「推譲(すいじょう)」や、経済一円融合論(「道徳のない経済は罪悪、経済のない道徳は寝言」)等々、関わりのあった人々の考えや教え、そして実際の生き方が語られている。

大日本報徳社の関係でもう一つ。大講堂の建つ敷地の傍らに「県指定文化財 建造物 旧遠江国報徳社第三館掛川事務所(大日本報徳社冀北学舎)」(平成26年3月14日 掛川)がある。これは、大日本報徳社第2代社長岡田良一郎が倉真村で開いた全寮制の私塾の建物で、ここでは12歳から17歳の男子生徒が集い、原書による英文や漢文を学んだ。建造物としては、極々普通の住宅建物だが、地方の片田舎で、非常にレベルの高い教育が行われていたことには驚かされる。特に英語力の向上に力をいれ、まだ明治政府が日本の教科書を整えていないこの時期にあって、スペリングやウイルソンリーダ、またパレー万国史などの原書を教科書にして学んでいたという。そして、この英語の教科書を使って米国史をも勉強していた。冀北学舎は、残念なことに徴兵制や公立の中学(旧制)が新設されるなどの影響を受け、わずか7年で閉鎖されてしまったが、この間に152人の卒業生を送り出した。ここから、文部大臣岡田良平(良一郎の長男)、宮内大臣一木喜徳郎(良一郎の次男)、東京帝国大学教授山崎覚次郎など、多くの優秀な人材が巣立っている。今年のNHKの大河ドラマで放映されている「松下村塾(しょうかそんじゅく)」の掛川版が、倉真に存在したということになる。

旧遠江国報徳社第三館掛川事務所を正面から見たようす
県指定文化財 建造物 旧遠江国報徳社第三館掛川事務所(大日本報徳社冀北学舎)

次に「市指定文化財 天然記念物 松葉のカヤ」(平成12年2月24日指定)を紹介しよう。
カヤ(イチイ科)という木は、本州の東北地方から四国、九州、屋久島の温暖な地域に分布する雌雄異株の常緑針葉樹で、木材は器具材などに利用され、特に碁盤、将棋盤として珍重されている。葉に特有の香りがあり、種子は食用にされたり、油を搾って食用や頭髪油などに用いられているという。
倉真の松葉にあるこのカヤの木は、北西向きの山地にある雌木で、高さ14.5メートル、幹周り4.3メートル、根周り11.7メートルで、枝は四方によく広がっていて、雄大な姿を見せている。残念ながら、樹齢は不明であるが、現地に行くと、山の斜面にあることもあって、見上げる人を優しく包み込んでくれるようで、その存在の偉大さを感じるのである。是非、一度見て、体感していただきたいものである。

存在感のある松葉のカヤの画像
市指定文化財 天然記念物 松葉のカヤ

もう一つ、別の視点で紹介しよう。
一昨年2013年10月、台風13号などの影響により倒木して、大変立派な雄姿を消してしまった「西大渕の大松」のことである。大松は、掛川市の指定天然記念物に指定されていたクロマツで、西大渕地区のちょうど中程にどっしりと根を張っていた。樹齢400年から500年と推定されており、幹の周囲約4.5メートル、高さ20メートル、手のひらを大きく広げたような立派な樹形をしていたことから、地域のシンボルとして長い間住民に親しまれてきたという。先月8月25日(火曜日)の静岡新聞朝刊に載った記事であるが、そんな大樹であったので、地元の元教員の方が作詞し、横須賀高校の音楽講師の先生が作曲した歌が、「西大渕の大松」の記憶を後世に伝えようとお披露目されたそうだ。公会堂には、地元の書道家の方が歌詞をしたためて飾るということも書かれていた。大松は、その姿を失ってもなお、地域の人々の記憶の中に生き、その姿は確実に後世に伝わっていくのである。

いくつか文化財を紹介したが、文化財は長い時間を経て、今に伝えられてきたものである。私たちの生活に深くかかわりながら、一日一日と時間を積み重ね、突如として襲いかかる事故や事件、あるいは政治などに関わる歴史的な出来事を見つめながら、今の姿がある。「松葉のカヤ」や「西大渕の大松」のような天然記念物などもそうである。自然の中に生き、年によっては厳しい寒さや暑さの中、時には根をも揺さぶる大風と大雨、そして大地を揺るがす大地震などにも耐えこらえ、今にその姿を伝えているのである。
このように、文化財を見ていると、その一つ一つの背景には、必ずそれにかかわる人がいて、まつわる出来事がある。それらが、文化財そのものの価値を一層高めているのである。そうしたことが文化財の魅力であり、私を引きつけるのである。文化財の背景を知れば知るほど、そこに一種の感動を覚え、時には気持ちを奮い立たせてくれる。
こうしたことから、文化財は「地域の宝」であり、「市民の誇り」につながるものなのだと思うのである。(了)

(蛇足)
近年、海外や国内のまちを歩くテレビ番組が、よく放映されている。番組では、そのまちの風景や素晴らしい自然を紹介するだけでなく、その土地に住み、生活している人々の様子を伝えている。例えば、ヨーロッパでは、お祖父さんや曾祖父の代から伝統的に続けてきた技術を今日まで引き継ぎ、商いを営む人たちや工芸職人などが紹介されることがある。その人たちに共通して言えるのは、引き継いできた技術は単なる伝統的な技というだけではなく、生きる上での自分たちの「誇り」であるという強い信念を持っていることである。それが、人からみればどんなに些細な営みや技であってもだ。それは、見ていてとても素晴らしいことだと感心する。そして、ここにも学ばなければならないことがあるのだと思う。

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