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第575回「二宮金次郎像写真展」

2015年11月20日更新

掛川市学校教育課長 佐藤嘉晃

二宮金次郎像写真展のようす

皆さん御存知のとおり、掛川市には大日本報徳社があり、「報徳の教え」が根付いています。平成25年度から中学校区学園化構想がすべての中学校区でスタートし、多くの学園が、「道徳教育」「総合的な学習」などの時間を使って「報徳の教え」に関する取組をしています。そこで、市内の全小学校に金次郎像が建立されたのを機に、より多くの市民の方々に各校の金次郎像を見ていただくことを通して、それぞれの金次郎像の特色を楽しんでいただいたり、「報徳の教え」に興味・関心を抱いていただいたりするきっかけになると考え、7月21日(火曜日)から8月31日(月曜日)の期間、「二宮金次郎像写真展」を開催しました。たいへん多くの市民の方々に御来場いただき、たくさんの感想が寄せられました。今回は、感想の一部を御紹介するとともに、各校の二宮金次郎像の特色を少しでも知っていただきたいと願い掲載しました。

 

[感想]市内外の皆さん、たくさん感想ありがとうございました。

  • たくさんの金次郎像を一堂に紹介してくださり、ありがとうございました。小田原、日光方面の像を見に行きたくなりました。(市外 60代以上男性)
  • 市内の像が一カ所で全て見ることができ、感激しています。また、珍しい引き札や生誕の地の像やユニークな像など、しばし楽しませてもらいました。ぜひ、市内の何カ所かでも展示してください。(大須賀区域 60代以上女性)
  • 各校の像を見ると、それぞれ個性があります。それぞれの時代、それぞれの地域での人々の願いが込められていると感じました。(掛川区域 50代男性)
  • いろんな顔をした金次郎がいた。本が1冊だったり3冊ぐらいのだったりあるんだな。何十周年で置かれているものが多かった。(掛川区域 小学生男子)
  • かわいい金次郎がいっぱいですね。素敵な企画、ありがとうございます。(掛川区域 50代女性)
  • 芝刈り、縄ない、わらじを作り、親の手助け、弟の世話をし・・・・父から教えられた金治郎の歌を思い出しました。よい写真ですね!(大東区域 60代女性)

日坂小学校

日坂小学校の二宮金次郎像

本校は、昭和53年度に現在の位置に移転してきました。移転の慌ただしい中での出来事か不明ですが、現校舎が落成された時には、金次郎像はなく、数年間そのままでした。それではかわいそうだと、元市議会議員の松永正治さん(写真左下)が、商売で上野に行った際に見つけた金次郎像を、平成17年4月に日坂小の玄関前に寄贈してくれました。今では、日坂小学校の子どもたちが朝一番に出会う人物となっています。

 

東山口小学校

東山口小学校の二宮金次郎像

本校の金治郎像は昭和12年4月29日に建てられたものです。東山口小学校では明治44年に「一 源三流」の校訓を制定しており、今日に至ってお ります。この校訓にある三つの教えのなかの一つ  勤労の汗」は、金治郎の勤労の精神の発想がもとになっています。そんな金治郎像は、校門から入ってすぐの「みどりの森」で、毎日子どもたちの登下校を見守ってくれています。

 

西山口小学校

西山口小学校の二宮金次郎像

本校の二宮金次郎像は、全長約110センチメートル(台座を含めて約180センチメートル)、青銅製で、正門東側の一角に建てられています。昭和63年7月、学校創立百周年を記念して特別寄付者実行委員会により設立されました。台座には元掛川市長の榛村純一氏直筆の「報徳」の文字が刻まれています。毎朝、元気に正門をくぐる子どもたちを柔和な面持ちで見守っています。

 

上内田小学校

上内田小学校の二宮金次郎像

本校の金治郎像は、昭和9年9月1日建立とその歴史が古く、農業が盛んな上内田の地域に、子どもの頃からどう生きるべきかを示す像として立てられています。「勤労」「至誠」「分度」「推譲」の教えを伝える像として大切にされ、像の建立以後、毎月1回記念奉仕活動を行ってきたという記録が残っています。現在の上内田小の「にこじろう運動」のルーツがここから始まっているのです。

 

城北小学校

城北小学校の二宮金次郎像

平成26年3月4日、地域の皆さん、教育関係者の皆さんなど多くの来賓をお迎えして、金次郎像の除幕式が行われました。建立の主な資金は、地区内の一軒、一軒からのご寄付でした。子どもたちも「金次郎リサイクル活動」で汗を流して、実現に協力しました。あえて台座を低くして、子どもたちの目線の高さにしたのは、「こんにちは、金次郎さん。」と子どもたちから金次郎像に、毎日声をかけてほしいという願いからです。

 

第一小学校

第一小学校の二宮金次郎像

本校の二宮金治郎像の傍らには、「二宮尊徳先生幼時之像」と記された碑があります。もとは昭和6年5月に竣功され陶製の像でした。昭和62年8月10日に再建されて銅像の金次郎となり、除幕式がPTAにより行われました。金次郎像が持つ本には、「一家仁一国興仁一家譲一国興譲一人貧戻一国作乱其機如比」と書かれています。古書「大学」の一説ですが、現代でもぜひ生かしていきたい大切な考え方です。

 

第二小学校

第二小学校の二宮金次郎像

本校の金次郎像は、大正12年に設立された「大池耕地整理組合」から、耕地整備事業の竣工を記念して昭和10年11月に本校に寄贈された物です。以来80年間、校門で子供たちを見守っています。台座には「二宮尊徳先生幼児之像」と刻まれています。「勤労、至誠、分度、推譲」の教えを、教育目標「自分がすき みんながすき 学校がすき」の実現につながるよう、アピールしていきたいと考えています。

 

中央小学校

中央小学校の二宮金次郎像

本校は、昭和39年度の開校以来、しばらくの間、二宮金次郎像が存在しませんでした。しかし、平成25年度に創立50周年を迎えるにあたって、記念事業の柱の一つとして、建立を決定しました。そして、10年間の積み立てによって実現し、平成25年12月7日の記念式典で披露されました。この像には、「金次郎についての学びを深めることで、報徳の教えを実行し、社会の役に立つ人になってほしい。」という願いが込められています。

 

曽我小学校

曽我小学校の二宮金次郎像

曽我小には、二体の金次郎像があります。校長室にある像は、戦時中供出された初代金次郎銅像の代わりに、陶器で作られた二代目の像(昭和17年建立)です。そして、もう一体、玄関近くの庭にある像は、「台座のある立派な金次郎の銅像を曽我小学校に贈りたい」と思った地域の方が、寄贈してくださった三代目の像(平成13年建立)です。

 

桜木小学校

桜木小学校の二宮金次郎像

本校の金次郎像は、開校60周年を記念して平成26年度に建立された非常に新しい像です。建立にあたっては、区民、地元企業等から多くの賛助金が寄せられました。この像には、現代の子どもたちにも金次郎の生き方、教えから学んで欲しい、という地域の皆様の願いが込められています。台座には、「積小為大」(深谷義弘校長書)の文字が刻まれています。

 

和田岡小学校

和田岡小学校の二宮金次郎像

市内の小学校の中で最後に建立された金次郎像です。この金次郎さんを建てるために、子どもたちは大根を売ったり、アルミ缶集めをしたりしました。地域や保護者の方は古紙を集めたり、古本を売ったりして資金を集めました。そして、和田岡地域のみんなの思いを集めて平成26年12月に建立しました。薪を背負い一歩ふみ出した姿は、和田岡っ子に積小為大の教えを伝え、あきらめずに前へ進めと励ましています。

 

西郷小学校

西郷小学校の二宮金次郎像

この金次郎像は、平成9年3月5日に建立されました。当時、本校は掛川市教育委員会より教育課程の研究指定を受け、学校教育の在り方について研究をしていました。研究を進めていく中で心の教育のシンボル、西郷小教育のシンボルとなる物の必要性を痛感したそうです。そこで、明治13年に創設された上西郷村農事会と一体となり、脈々と継承、実践されてきた報徳精神の表出である「二宮金次郎像」を西郷小の校庭に建立し、20世紀から21世紀への賜り物として現在に受け継がれています。報徳の精神(「勤労」「至誠」「分度」「推讓」)がこの西郷の地にもっと広がり、未来を担う子どもたちが健全に育っていってほしいという願いが込められていると聞いています。

 

原谷小学校

原谷小学校の二宮金次郎像

本校の金次郎像は、昭和63年に創立百年を迎え、9月3日に記念事業を挙行しました。式典、記念誌刊行とともに記念碑(二宮金次郎像)も建立したと「学校創立百周年記念誌」に書かれています。
正門から本校に入ると金次郎さんが出迎えてくれ、子どもたちや職員、地域の方々を見守ってくれています。「積小為大」の精神を伝えてくれています。

 

原田小学校

原田小学校の二宮金次郎像

本校の金次郎像は、岡山県の備前焼窯元「木村興楽園」の名工友敬によって、昭和2年から昭和15年の間に作成されたものです。掛川市の金次郎像の中でも、陶器製は珍しいものであると思われます。また、歩いている姿の像が多い中、本校の金次郎像は立ち止まって本を読んでます。
全国的にも貴重だということで、テレビ局の取材を受けました。

 

倉真小学校

倉真小学校の二宮金次郎像

本校の二宮金治郎像は、昭和56年に作られました。ひょうたん池の近くから、運動場で遊ぶ元気な倉真っ子を暖かく見守ってくれています。
金治郎の弟子である岡田良一郎は、倉真地区の出身です。本校では、毎年6月に金次郎委員会による「金次郎を知る会」が開かれ、入学した1年生に報徳の教えを伝えています。良一郎が広めた報徳の教えは、「金次郎魂」として本校児童の心の中に宿っているのです。

 

土方小学校

土方小学校の二宮金次郎像

本校の金治郎像は、昭和3年11月、土方小学校一同と学区の報徳社(入山瀬・落合・嶺向・下土方)と有志の方によって再建されたものです。「二宮尊徳先生幼時之像」とあるとおり、学問をしたいと願いながらも時間がとれないために、薪を運ぶ道中に書を読み学ぶ姿を表しています。働くことの大切さとともに学問の大切さを伝える「金次郎像」は、報徳の教えを大切にしている土方地区の象徴でもあります。

 

佐束小学校

佐束小学校の二宮金次郎像

本校の二宮金次郎像は、「着ている物と足の出方」に法則性があるそうです。
佐束小学校の金次郎像は、袴の裾を入れたモンペ姿でわら草履を履いています。前に出ているのは左足です。つまり、「モンペ左足の石像」です。これは、愛知県の前芝小学校にある小学校最古の金次郎石像の流れを汲むものです。佐束小学校の金次郎像は玄関の横で、毎日、子どもたちの登下校を見守っています。

 

中小学校

中小学校の二宮金次郎像

昭和9年頃、中地区下方の雑賀さた様(当時85歳)より本校へ寄贈されました。葛を結び、夜遅くまでよく働いた方で、以来この像は、80年以上の間、報徳の教えを説き続けています。石像でありながら、ふくよかな金次郎像。「大学」の一字一句を実体験に重ね合わせ、確かな一歩を踏み歩む、勤労・勤勉の志。そして、分度を見極め、報恩感謝に生きる推譲の豊かさがにじむ。温と厳が一つに相和す姿は、本校教育の根基として今に受け継がれています。

 

大坂小学校

大坂小学校の二宮金次郎像

大坂小学校の二宮金次郎像は、本校の正門をまっすぐ入った突き当たり、竹林の横にたっています。この一角を子どもたちは三井の里と呼んでいます。
正門から登校してくる子どもたちを温かく迎え、報徳の教えが行き届くようにと願っているようです。

 

千浜小学校

千浜小学校の二宮金次郎像

本校の金治郎像は、幼年時代の金治郎像です。左手には、金次郎が学んだと言われている儒教書四書の内の「大学」の一節が記されています。「一家仁なれば一国仁に興(おこ)り、一家譲(じょう)なれば一国譲に興(おこ)り、一人貪戻(たんれい)なれば一国乱を作(な)す。その機かくのごとし。」児童昇降口にある金次郎さんは、自分自身も学びながら、毎日、子どもたちの学びを見っています。 

 

横須賀小学校

横須賀小学校の二宮金次郎像

金治郎像といえば、薪を背負って本を読んでいる像が一般的ですが、本校の金治郎像は、わらじを差し出している金治郎像です。これは金治郎の教えの中でも難しいとされる「推譲」(人のために譲ること)を表しています。思いやりの心を持ち、人のために行動する気持ちを育てたいという願いが込められています。生誕200年を記念して、昭和62年に建立。

 

大渕小学校

大渕小学校の二宮金次郎像

本校の像は、地域在住の元書道教師、伊藤彌一氏より寄贈されました。白御影石の台座には、彌一氏直筆の「徳」の文字が記され、自分のよさを大切にし、自分を磨き徳のある人になろうという意味が込められています。平成25年2月20日に行われた除幕式で彌一氏は、「笹鳴の 校庭に除幕の 金治郎の 教えを学びて 背負え日本」と、子どもたちの健やかな成長を願った短歌を披露しました。

 

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