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第589回 運命の女神

2016年2月26日更新

掛川市高齢者支援課長 深谷 富彦

最近、といってももう一月以上前になるが、一冊の本を読んだ。
主人公は、死に直面している人を見ると、身体が透けて見えるという能力がある。最初は指先が透け、死期が近づくにつれて身体全体が透けてしまうというもので、近くに身体が透けて見える人がいると、その人の死期が近いということがわかるというものである。
しかし、時間を変えたり、道順を変えたりすることでその死期を回避することもできるのである。
ある日、同じ特殊な能力を持つ医師と知り合いになり、その医師からは、もし、透けて見える人の命を救うと、自分の命が縮まるということを教えられる。

そんなある時、電車の中で何人かの人の手が透けているのを見たり、ある街では何人もの透けた人を見るようになり、多くの人の命を失う災害や大事故が起こるのではないかという不安になる。結果として、電車事故により多くの人が亡くなってしまうということが予測されたのであるが、そんな時に主人公がどんなこと思い、どんな行動をしていくかを描いた作品である。

なんとなく、よくありそうな話ではある。
もしも、誰かの死期が分かったら、もしも、死の運命を変えることができるならどうするべきなのか?そして、もしも誰かの運命を変えたツケで、自分の寿命が縮められるとしたらどうするべきなのか?
自分自身もあの時あーしておけばよかった、こうしておけばよかったと思うことがよくある。交通事故や不慮の事故のニュースを聞く場合などは特にそうである。いつもの道を行っていればなあ、とか、あと1分早く出かけていれば事故にあわなかった、とか・・・。
なんとなく、うじうじ、女々しいようでもあるのだがある運命に対する俗にいう後悔である。

著書の中では、主人公がいろいろと思いながら、その特殊能力と向きあっていくというものであるが自分にもそんな能力があったとしたらどんな行動をするのだろうか?
SFであり、ありえないことではあるが、なんとなく、そんなこともあるのかなぁと思う気もしないわけではない。
しょうがないし、なるようにしかならないし、・・でも運命はやはりあるのだと思う。
当然そうするため、そうなるための努力、行動をともなってのことではあるが、でもやっぱり運命は、運命として、現実は現実として受け入れなければならない。
誰かが、なにか操作しているのか・・・神様・・・いるんだろう・・・きっと。
最近、身近でも亡くなった人もいるが、それも運命。段々とそんな現実が多くなっている今日このごろでもある。

自分は何ができるであろうか、どんな生き方をしていけばいいのか?
頑張りすぎてもいけない。困ったときの逃げ道をつくっておかないといけない。
そんな時私がいつも思うのは、それは、「時間が解決してくれる」である。最後はあきらめるのであるが、それまで頑張ってきた自分には優しくしてあげたいと思う。
時の流れに身をまかせ(そんな歌もあった・・・)、無理せず自然の流れのままにごく普通の、ごく平凡なそんな人生でいい。
でも「運命の女神」は自分にはいてほしい。時々でいい・・微笑んでほしい。

読んだ本は、百田直樹著の「フォルトゥナの瞳」。昨年暮れに文庫本が発刊された著者初のSF小説だそうです。
「永遠の0」とか「海賊とよばれた男」とかで有名な著者ですので読んだ方もあるかもしれませんが、興味のある方は読んでみてください。
「フォルトゥナ」とはラテン語で幸運を意味する言葉で、「ローマの神話に登場する球に乗った運命の女神」のことだそうです。

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