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第611回 天浜線とともに30回。

2016年7月15日更新

掛川市環境経済部長 鈴木久裕

昭和62年3月15日国鉄二俣線が廃止され、その前年に設立された第三セクター天竜浜名湖鉄道(株式会社)に天竜浜名湖線として引き継がれてから、今年で30年目です。
当時、桜木地区と和田岡地区に関係する市役所職員で作る北小笠親睦会では、桜木駅を抱える地元として何かできることはないかと相談した結果、沿線へのフヨウ、ムクゲの植栽と、年1回の沿線の草刈りをすることとしました。以来、その草刈りは毎年続けられ、今年も7月2日の土曜日に、記念すべき(?)30回目を実施しました。

ここで、北小笠親睦会について少し。
「北小笠」は、昭和の大合併の行われた時代(1950年代)半ば、桜木村と和田岡村が昭和29年3月31日に合併してできた村の名前です。ちなみに同日、掛川町が東山口村や曽我村を編入し、旧掛川市として市制施行しています。なお、昭和の大合併は「新制中学校を運営できる規模」をひとつの目安として進められました。このような経緯で、桜が丘中学校は、合併前年の昭和28年4月に桜木村和田岡村組合立として設置され、その1年後の両村が合併した日から、北小笠村立桜が丘中学校となったのでした。
その後北小笠村は、昭和32(1957)年3月31日に原谷村、原田村とともに、旧掛川市に編入され、3年間という非常に短い歴史を閉じました。(末尾に北小笠村の変遷年表を添付しましたので、掛川市の合併の歴史と重ねあわせてご覧ください。)

草刈り機で、線路脇の草刈りをする人たち
既に背丈ほどに伸びた草は固く、刈りづらいです

このような経緯の中で、北小笠親睦会は、掛川市との合併当時に北小笠村出身の職員の親睦組織として設立され(設立年の記録がないので断定はできませんが‥‥)、以来60年、非常に息の長い親睦組織として続いています。会の事業としては、年に1度の総会(兼懇親会兼退職職員送別会兼新入職員歓迎会)と、これまた年に1度の天浜線草刈りが、2大イベントです。
私は、昭和58年に市役所入庁でしたので、草刈りは第1回目から、(これまで何回かは都合で欠席しましたが、)優先的年中行事として参加をしています。昭和62年当時は、若手として先輩職員の手慣れた草刈りに感心しながら参加していましたが、今では年配組となったにも関わらず、華麗な草刈り技術を発揮ということもできませんので、ともかく一生懸命やって汗をかく、ということで許してもらっています。

 

電車が走る姿を線路脇から間近に見る草刈りの人たち
車両通過時は、手を休めて待避。
線路間近から見る車両は、迫力満点です。

さて今回は第30回ということで、天浜鉄道本社の社長さんもお越しになり激励していただくとともに、社の従業員の皆さんも安全確保要員として力を貸してくださいました。
朝8時、平成21年から無人となっている桜木駅前広場に集合。会長の榛村維持管理課長の挨拶と幹事の注意事項のあと、早速作業に取りかかります。取り組んだ場所は、桜木駅を中心に、東は家代川に架かる鉄橋を目標、西は県道掛川山梨線の山梨街道踏切手前までです。

まず前半を東方面、駅に戻って小休止を挟み西側を刈りました。
当日はとても暑くなりましたので、1時間もたたないうちに、みんな"赤色吐息"状態に。熱中症寸前かと思われた頃、幹事からの休憩コールで、救われました。
休憩後引き続き、西方面へ。ますます暑くなる炎天下、最後はみんなで励ましあいながら、目標地点まで終えることができました。みんなで拍手です。

 

毎年のことながら作業は結構きついですが、ともに汗を流すからこその親近感が生まれ、部署の違い、年齢の違いを超えた親睦となり、良い機会となっています。この頃は職員減少に伴って会員数も減り大変な面もありますが、親睦会とともに、今後とも続いていけば良いなと思っています。

草刈り作業をした皆さん集まった記念写真
お疲れ様でした!みんなでパチリ。

参考資料 北小笠村の変遷、明治4年から。

参考資料 北小笠村の変遷、平成17年まで

参考資料 北小笠村の変遷

明治4年 戸籍制度

黒田村、富部村、下垂木村、峰村、田中村、各和村、吉岡村、
高田村、家代村、遊家村、上垂木村

明治21年4月25日 市制・町村施行

黒田村、富部村、下垂木村(峰村、田中村)、各和村、吉岡村、
高田村、家代村、遊家村、上垂木村

明治21年6月13日 訓令「町村合併標準」(明治22年4月1日施行)

雨桜村(家代村、遊家村、上垂木村)
和田岡村(各和村、吉岡村、高田村)
垂木村(黒田村、富部村、下垂木村、岡津村の一部、両家村の一部)

明治29年4月1日

城東郡・佐野郡が合併し発足。(1町45村)

大正3年5月1日

大須賀村が町制施行・改称し横須賀町となる。(2町44村)

大正12年1月1日

西方村が町制施行・改称し堀之内町となる。(3町43村)

大正14年8月20日

大池村が掛川町に編入。(3町42村)

昭和7年10月1日

垂木村・雨桜村が合併し、桜木村が発足。(3町41村)

昭和15年11月1日

新田村が町制施行し池新田町となる。
川野村、相草村が合併し、小笠村が発足。(4町39村)

昭和17年6月1日

中内田村・下内田村が合併し、内田村が発足。
三浜村・三俣村が合併し、睦浜村が発足。(4町37村)

昭和18年4月1日

南郷村が掛川町に編入。
佐束村・岩滑村が合併し、佐束村が発足。(4町35村)

昭和25年10月10日

上内田村が掛川町に編入。(4町34村)

昭和26年4月1日

掛川町・西南郷村・粟本村・西山口村が合併し、掛川町が発足。(4町31村)

昭和29年4月1日

堀之内町・内田村・横地村・六郷村・加茂村が合併し、菊川町が発足。(4町27村)

昭和29年3月31日

掛川町が曽我村・東山口村を編入・市制施行し掛川市となり郡より離脱。
和田岡村・桜木村が合併し、北小笠村が発足。
西郷村・倉真村が合併し、三笠村が発足。
小笠村・南山村・平田村が合併し、小笠町が発足。(4町20村)

昭和30年1月1日

佐束村・土方村が合併し、城東村が発足。(4町19村)

昭和30年3月31日

池新田町・朝比奈村・比木村・佐倉村・新野村が合併し、浜岡町が発足。
河城村が菊川町に編入。(4町14村)

昭和30年4月1日

日坂村・東山村が掛川市に編入。(4町12村)

昭和30年4月19日

大坂村・睦浜村が合併し、大坂村が発足。(4町11村)

昭和31年6月1日

横須賀町・大淵村が合併し、大須賀町が発足。(4町10村)

昭和31年8月1日

大坂村・千浜村が合併し、大浜町が発足。(5町8村)

昭和31年9月30日

原泉村が三笠村と周智郡森町に分割編入。
中村が城東村に編入。
笠原村が大須賀町と磐田郡袋井町(現・袋井市)に分割編入。(5町5村)

昭和32年3月31日

北小笠村・原谷村・原田村、三笠村の一部が掛川市に編入。(5町2村)

昭和35年10月1日

三笠村が掛川市に編入。(5町1村)

昭和48年4月1日

大浜町・城東村が合併し、大東町が発足。(5町)

平成16年4月1日

浜岡町が榛原郡御前崎町と合併し、御前崎市が発足、郡より離脱。(4町)

平成17年1月17日

小笠町・菊川町が合併し、菊川市が発足、郡より離脱。(2町)

平成17年4月1日

大須賀町・大東町が掛川市と合併し、掛川市が発足、郡より離脱。
同日小笠郡消滅。

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