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第653回 我が家の一大事から1年

更新日: 2017年3月17日
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掛川市健康福祉部参事兼健康統括官 岩附美恵子







←父のイメージ
(北の国からの黒板五郎似の父)
 昨年、脳梗塞で倒れた父のことを、この寸感ホットページでご紹介しました。早いもので、あれから1年がたちました。今回は、この1年の我が家の様子をお伝えしたいと思います。
  一昨年の12月、前日まで元気に働いていた83歳の父親が、突然小脳梗塞を発症し緊急入院しました。この日を境に、父は要介護生活を送ることになり、母は介護生活が始まりました。
 当初、家族は「父の命を助けてほしい」という願いだけでした。しかし、病状も安定し回復期病院へ転院した頃には、病院で歩いている患者さんを見ると「あんなふうに治るといいなあ」と大きな期待を抱くようになっていました。実際は、管(くだ)で栄養を摂取し、排泄は採尿袋をつけて紙おむつを使用している状態でした。さらに、父は小脳梗塞のため、バランス感覚が低下し立つこともできず、手足も思うように使えない失調があり、移動は車いす。そして、呂律が回らず、うまくしゃべれない構音障害もあり、会話がとりにくい状態でもありました。そのため、時に苛つき、手や足が出て、母はよく手や顔が紫色になっていました。さらに、左目は「二重に見える」と言って、左目を閉じ右目だけで見るようになり、家族の思いとは、ほど遠い状態でした。
 回復期の病院は6ヶ月間入院しました。入院中は、少しでも回復してほしくて、家族は一生懸命リハビリを勧めたり、家でもやれるように理学療法士や作業療法士の方々に教えてもらいました。しかし、当の本人は、リハビリよりも家に帰りたがり、ベッドから降りようとして何回も転落し、せっかく回復した腕が上がらなくなってしまったり、「いかに病院から脱走できるか」と、車いすで出入り口を探しまくったりと病院では要チェック人物でした。そのため、はじめは母が泊まって付き添っていました。しかし、父が甘えてしまうからと、母は病院へ毎日通うことになりました。母には本当に感謝しています。このような中、リハビリの甲斐があり、排泄は介助によりトイレでできるようになってきました。
 転院して4ヶ月が過ぎた頃、医師から「今のままの状態(移動は車いす、痰の吸引は必要)で退院となるでしょう。」と説明があり、施設の申し込みを勧められました。家族としては、杖や歩行器を使ってでも歩けるようになってほしいと期待していただけに、先生のお話はショックでした。結局、私たち家族は、父の願いをとおして「在宅で看たい」と伝えました。先生は、介護者の負担を考えて、再度施設の申し込みをするよう勧めてくれましたが、家に戻す気持ちは変わりませんでした。それからは、在宅に向けて、階段を使った歩行練習や口から食べる練習など在宅生活に合わせたリハビリが行われるようになりました。そして、家族も痰の吸引や食事介助の練習も始まりました。家族としては、在宅に向けて徐々に準備が始まったと、ちょっと嬉しく思いました。
 しかし、父が家に戻るためには受け入れ準備も必要でした。一つは主治医の依頼、二つ目は、介護保険サービスの利用にあたり、ケアマネジャーの依頼、サービス内容の検討、三つ目は家の改修でした。家の片付け、大工さんへの依頼、手すりの設置や間取り・内装の検討など、わからないことばかりでしたが悩んでいる暇はありませんでした。また、キーパーソンになっている私には、病院やケアマネジャー、サービス事業者、大工さん・・・などから、仕事中も度々電話がかかってきました。さらに、退院カンファレンスや指導など病院にも足を運ばなければならず、この頃は心身ともに疲労がピークを越え、すべてを放棄したいとさえ思うようになっていました。こんな時、妹や職場の皆さんが支えてくれ、救われました。

 そんな時期を何とか乗り越え、7月中旬に退院の日を迎えました。家に戻った父は穏やかで、とても良い表情でした。入院中は昼夜逆転していましたが、家ではよく眠るようになりました。主(あるじ)が帰ってきた我が家は、やっと落ち着きを取り戻せたように感じました。しかし、父は要介護5で1日3回の食事(ミキサー食)やトイレ・入浴介助、痰の吸引、口腔ケア、投薬など、すべて家族が行わなければなりません。初めての介護生活は父も母もお互いに慣れず、食事でむせることが多かったり、夜間度々トイレに起こされ、母は疲れが出始めました。さらに、我が家は農業もあり、父が週4回のデイケアに出かけている間、母は農作業を行うというハードな毎日を送っていました。私と妹は土日にできる限り父の介護をし、母が1日フリーになれるよう努めました。
 そんな中、退院して1ヶ月後の受診で「誤嚥性肺炎」と診断され、再入院になってしまいました。家族としては大変ショックでした。介護の仕方が悪かったのではないかと悩みましたが、父はおとなしく2週間の入院生活を送りました。入院中は、肺炎の治療とリハビリ、食事介助のチェックなどもしていただき、生活機能は大きな衰えもなく退院となりました。母も休養をとることができました。

 退院した9月の中旬は稲刈りの時期でした。土日は妹に父の介護をお願いし、母と夫が中心になって私も農作業を行いました。母は夜になると父の介護が待っていて、疲労困憊の状況が続いているのがわかりました。11月に入った頃、夜間の寒さが気になるようになり、私は寒がりな父を心配して母に「電気毛布か湯たんぽを使ったら?」と伝えました。それが後に大きな問題を起こすことになりました。数日後、母が湯たんぽを入れてくれ、その翌朝のことでした。父が「足が痛い。」といって顔をゆがめていました。見ると右足のかかとに3センチくらいの水疱ができていました。低温やけどでした。その状態を把握したケアマネジャーの方は、父の低温やけどの治療と母の疲労回復のために入院を勧めてくれました。この頃、母はかなりの疲れがたまっていたと思います。施設の話を伺い、入所を考えるようになっていました。しかし、私は母と話し合い父の思いを優先して1週間で退院し、その後は看護師の方々のご協力をいただきながら、やけどの手入れを行ってきました。もう少しで治るかなあと思われた矢先のことでした。
 今年の1月7日、高熱が出て救急外来を受診し、「肺炎」と診断され入院となりました。点滴治療が始まり、食事は口から摂ることができなくなり、ベッド上の生活となり、排泄は紙おむつの中にするようになりました。身体機能が落ちていくのが目に見えてわかりました。そんな中、先生は、私たち家族の些細な相談にのっていただいたり、本人や家族の意向を尊重して治療を進めてくれました。入院して3週間が過ぎた頃、先生から「検査予約をしていた回復期病院へ転院したらどうか。」というお話をいただき、今はそこでリハビリ治療が始まっています。以前より、車いすでの姿勢を維持することが難しくなっていますし、声もでなくなり、コミュニケーションがうまくとれません。食事も鼻から管(くだ)で栄養剤を入れ、排泄は紙おむつの中という状況は変わりませんが、転院前より怒りを表現するようになり、手足の動きも活発になっています。先日は足で私の顔を蹴りました。とても痛かったです。でも、今は怒れるというよりも父が動けるようになった喜びの方が大きく、そんな話を母とするのが今は楽しみになっています。
 掛川市では、平成10 年に自宅で亡くなった方は22.3%でしたが、平成26 年には16.2%と減少しています。在宅介護を希望し、在宅看取りを考えている家族は少なくないと思います。しかし、在宅での介護や看取りを行うには多くの課題があり、あきらめなければならない状況もあるのではないかと思います。実際、我が家も在宅介護をあきらめようとしたことが何回もありました。しかし、私は父の「家に帰りたい」という思いや家族の悔いのない介護をしたいという気持ちを優先し、在宅介護を貫きました。でも、時々入院をしていますが・・・。

父の愛車2台
 私は今、父が自宅に戻り、最期まで父らしく過ごしてほしいと願っていま
す。そして、介護をしてくれている母には感謝の思いを持って、これからも
支えていきたいと思います。

 現在、掛川市は健康長寿を目指し、かけがわ「生涯お達者市民」推進プロジェクトを進めています。市民の皆様が、父のように病気になってから考えるのではなく、病気になる前から食生活や運動などの健康づくりに取り組み、住み慣れた地域でお達者にお過ごしいただけるよう、今後もプロジェクトの推進に努めてまいりたいと思います。

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