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第654回 「中東遠総合医療センター」Part3 第2ステージへ

2017年3月24日更新

掛川市健康福祉部付参事
中東遠総合医療センター経営戦略室長 石野 敏也

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「中東遠総合医療センター」が、平成25年5月1日の開院以降4年が経過しようとしています。
今年度末をもって、開院前後の激動の中、卓越した経営手腕とリーダーシップにより当院を引っ張ってこられた名倉英一企業長兼院長が退任され、新たに宮地正彦先生にバトンが渡されることになりました。
全国初の統合病院としてスタートした当院も、いよいよ第2ステージに突入します。統合構想以降、自分が関わったこの10年間の中で、今でも忘れられない出来事を振り返りつつ、今後に向けての期待を述べたいと思います。

 

掛川市・袋井市病院企業団名倉企業長退任、新企業長に宮地正彦氏の経歴・資格等記載の図

掛川市・袋井市病院企業団
名倉企業長退任へ
任期:平成25年4月1日から平成29年3月31日

掛川市・袋井市病院企業团
新企業長に宮地正彦氏
任期:平成29年4月1日から

経歷
昭和55年3月 名古屋大学医学部医学科卒
昭和63年7月 名古屋大学医学部医員(外科学第一講座)
平成元年9月アメリカ、Johns Hopkins大学留学
平成9年7月アメリカ、Johns Hopkins大学講師(外科学第一講座)
平成9年10月 愛知医科助教授 (外科学講座)
平成21年4月 愛知医科助教授特任教授(外科学講座)

資格等
医学博士、日本外科学会指荐医、日本消化器外科学会指等医、日本消化器病学会指兽医、日本神经消化器病学会理事

最大の出来事

遡ること13年ほど前の平成16年、新しい医師臨床研修制度の影響により、全国各地で大学による医師の引き揚げが始まりました。多くの地方病院が医師不足に陥り、診療体制の弱体化や著しい経営悪化により、地域医療の崩壊が全国的に叫ばれるようになりました。掛川市・袋井市においても例外ではなく、救急車が断られる、お産ができない、手術ができないなど、将来的に市民病院をどうするのかといったことが喫緊の課題として日々、危機感が増していく事態となりました。このことを受け、両市それぞれが「病院の在り方検討会」を設置、検討を進めた結果、双方の検討会ともに「単独での建て替えは困難」「病院統合による建設を目指すべき」との答申が出されました。平成19年12月には「掛川市・袋井市新病院建設協議会」が設置され、統合に向けた本格的な議論へと協議の場を移すことになりました。
協議会の会長には、しずおか健康長寿財団理事長で元県立総合病院長の佐古先生にご就任いただき、副会長職には寺尾先生(元浜松医科大学長)、松尾先生(現名古屋大学総長)と、今考えても信じられないような強力な布陣で協議が開始されました。もちろん、病院問題は両市民の最大関心事ということで、市長、市議会議員、院長、看護部長、市民代表、有識者など、総勢36名の委員が、毎月参集し、丁々発止の議論が進められました。
協議会の模様はすべて公開され、新聞、テレビ等でも毎回報道されましたが、協議の過程では実に様々なドラマが生まれました。
規模や経営形態、両市の負担割合など、多くの課題がある中で、最大のヤマ場はなんと言っても建設場所の問題だったと思います。

当時、両市、両市議会ともに統合すべきとの総論的な考えに違いはありませんでしたが、やはり市民の利便性や旧市民病院に対する市民感情を代弁する立場から、互いの主張には隔たりがあり、結局、最終回と考えていた協議会でも合意に至ることができませんでした。
その時の佐古会長の鬼気迫る発言に、皆、一瞬言葉を失いました。
「一体、一年間の議論は何だったのか?この場で合意できなければ、縁もゆかりも無い私が貴重な時間を割いて協力してきた意味がない。こんなアホらしいことはやっておれん。この会は決裂、終了としたい。」先生は回想の中で「大見得を切った。」と述べておりますが、これまでの議論を冷静沈着に進め、時には両市の融和を図り、時にはユーモアを交えて導いてきた先生から出た、あまりにも衝撃的な言葉でした。歩み寄りが難しい両市への歯がゆい思いと、この役を引き受けた以上は、絶対に地域医療を崩壊させてはならないとする強い意志から発せられたものだったと思います。

佐古会長にも大学にもそっぽを向かれ、病院の崩壊も見え隠れする中、両市、両市議会などの関係委員から、「建設場所についてもう一回だけ協議の場を設けてほしい。」との申し入れが佐古会長に行われ、再度、建設場所のみを協議対象として10回目の協議会が開かれました。その場で正副会長による「裁定案」が出され、一応、全会一致という形で合意に至りましたが、袋井市の委員からは「苦渋以上の決断」、掛川市の委員からは「断腸の思い」という思いも語られる中、何とか決着に至りました。当時の委員の方々の安堵の顔と疲労困憊の姿が重なって思い出され、今でもあの時の光景は忘れることはできません。
翌日には、静岡、中日をはじめ読売、朝日、毎日、産経の各社新聞に大きく取り上げられ、あらためて医療に対する関心の大きさと統合の難しさを痛感した出来事でした。

病院統合に対する両市民の思いを表したフローチャート

病院統合に対する両市民の思い
掛川市側は断腸の思い、袋井市側は苦渋以上の決断
それぞれの思いを乗り越え両市民の期待

  • 新病院は、24時間365日質の高い医療(救急)を提供できる病院になってほしい
  • あらゆる災害に対して両市民の命を守る拠点になってほしい

当時の詳細な記録は、平成27年10月に掛川市・袋井市、両市が共同して作成した「掛川市・袋井市両市病院統合記念誌 中東遠総合医療センター開設への道」に細かに収載されていますので、図書館等でご覧いただければ、緊迫感が伝わってくるものと思います。興味がありましたらご覧ください。

第2ステージへ向けて

開院以降の4年間は、名倉先生のリーダーシップの下、患者数や収益面において想定を上回る診療実績を上げてきました。開院前の説明会では「100人の医師が本当に集まるのか?」「統合は無駄ではないのか?」との疑問がどの会場でも聞かれましたが、平成29年1月1日時点では121人の医師(研修医を含む)が勤務しています。
運営面でも、入院・外来の患者数については、旧病院の合計値を大きく上回る実績を上げ、国や全国の医療関係者からも注目されるほどの大きな成果を上げています。また、「救急搬送応需率」(救急受け入れ要請に対し断らずに受け入れた率)に至っては県内2位と、地域医療、ことさら市民の安全、安心な暮らしに大いに寄与しているものと思います。

平成27年救急車・ホットライン応需率の棒グラフ

グラフ説明(平成27年救急車・ホットライン応需率
県内他病院との比較
分子:救急車で来院した患者数
分母:救急車受け入れ要請件数
藤枝99.0%、中東遠96.3%、聖隷赤十字96.1%、磐田96.1%、静岡赤十字94.6%、県立総合93.0%、聖隷浜松92.7%、浜松医療90.9%、聖路加90.3%、遠州82.6%、三島80.6%、平成26年中東遠98.6%
全病院平均は84.5%(nは280))

職員一人ひとりの頑張りがあってこそとは思いますが、ここまで中東遠総合医療センターを引っ張っていただいた名倉先生のご功績については、あらためて心から敬意を表します。
今後は宮地正彦新体制がそれらを引き継ぎ、さらに向上させていくことへの挑戦が始まります。

中東遠総合医療センターの役割は、地域の開業医の皆様と連携し、入院加療が必要な患者、重篤な患者を確実に受け入れ、質の高い医療を提供すること、さらには災害時には命の拠点となることです。

今後、病院を取り巻く環境は診療報酬の削減や入院期間短縮への誘導など、さらに厳しさを増すことが予想されていますが、そのような中、掛川市議会の発議により「掛川市健康医療基本条例」が平成28年4月1日から施行されました。この条例では、市民や地域医療機関、病院など、それぞれの役割を明らかにすることで市民と病院の協働が推進され、地域医療の向上に一段と拍車が掛かる効果が期待できます。さらには、自分自身の生き方、逝き方を考えることにより、限りある医療資源の有効活用にもつながってくるものと考えられます。

今後も宮地新企業長兼院長を筆頭に、当院の基本理念である「愛され、信頼される病院」を目指し、地域医療の向上に不断の努力を重ねていきたいと思います。

自分、家族、親戚、友人の幸せな人生を送る上で大切な命・健康を守るため、中東遠総合医療センターへの温かいご支援を今後ともよろしくお願いいたします。