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第687回 福祉の仕事に従事して

更新日: 2017年9月26日
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掛川市福祉課長 寺田雅志

 社会福祉、地域福祉、健康福祉、障がい者福祉、高齢者福祉、児童福祉、etc…。福祉の文字が付く言葉って多いですよね。では普段何気なく使っている?その「福祉」って、どんな意味なんでしょう?
 「福祉」をWikipediaで検索すると「幸せや豊かさを意味する言葉、全ての市民に最低限の幸福と社会的援助を提供するという理念を指す」と書かれています。う~ん…、難しいですね。では福の字と祉との字は?これはどちらも幸せを表す文字だそうで、福祉は幸せの二段重ねなんですね。

初めての福祉の仕事

 平成14年3月の人事異動内示で僕は初めて福祉の仕事を経験することになりました。実は自分の移動先が「福祉課」と載った異動内示資料を見て、思わず「俺が福祉課ぁ!?」とつぶやいたのを今も鮮明に覚えています。そしてその後の公務員生活の殆どを福祉部門、それも障がい者福祉の仕事をする事になるとは夢にも思っていませんでした。
 当時、僕が福祉課に持っていたイメージは、夜遅くまで残業があり、暗くなった当時の喫煙場所(現在は敷地内禁煙のため有りません)で、職員が俯きながらタバコの煙を燻らせているといったものしかありませんでした。
 実際の配属先は福祉課の障がい者福祉係で、それまで全く福祉の「ふ」の字も知らなかった僕にとっては目にするもの耳にするもの全てが新鮮というか驚くもので、当時の係長からは「使えん奴が来たな」と思われていたと思います。
 平成14年度というのは、障がい者福祉施策にとって長らく続いた「措置制度」の最終年であり、平成15年度から始まる「支援費制度」の準備の年でもありました。初めて飛び込んだ障がい者福祉の世界で、僕はこの支援費制度の準備を担当する事になりましたが、これは措置制度等の従来のサービス体系を知らない僕にとっては飛び込み易かった事を覚えています。


テーマはハリーポッター!

 実は福祉課に異動してまもなくメガネを替えたんですが、これはある親御さんから「寺田さんって何か冷たい感じがする」って言われて大いにショックを受けた事から決断したもの。鏡を見ながら「俺ってそんなに冷たく見えるかなぁ?」と悩んだ末に、せめて外見だけでも?何とかしようと思いついたのがメガネを替えてのイメチェン!選んだのは当時流行っていた映画「ハリーポッター」の主人公が使っていた丸形のデザインのメガネでした。眼鏡屋さんで「とにかくハリーポッターみたいな丸いメガネが欲しい」といって探しまくりました。丸いメガネを掛けて鏡の前に立ち「これで多少はソフトに見えるかな?」な~んて勝手に思っていましたが、実際はどうだったんでしょう?
           


支援費スタート!

 障がい者が生まれ育った地域で自分に合ったサービスを受けて暮らせる施策への大転換!として平成15年にスタートした支援費制度。確かに目指したところは素晴らしかったと思いますが、サービス体系は従来のままであり、理想と実態とのギャップが大きかったことは確かでした。
 自分でサービスを選べるといっても提供可能なサービスには限りがあり、突然「希望するだけサービスを受けられる」と喧伝されても、実際には受けられないサービスがあったと記憶してます。また支援費制度ではサービスを受けるにはその費用の一部を障がい者が負担することとなり、サービスを選べないことと相まって色々と議論の対象となりました。
 そんな中、ある親御さんがおっしゃった「この子が何の心配も無く人生を送れるなら、今の10倍負担しても構わない」「親亡き後のこの子の将来を考えると死んでも死にきれない」この言葉は今も僕の心に重くのしかかっています。
 そして一部のサービスに要望が集中し、市の予算は何度も補正を組まなければならないほどに増加。それはとりもなおさず国の予算も同じで、市町に支給される補助金の大幅な増加に直結して大混乱。本来は補助率が決まっていましたが、実際には大幅に下回る補助率でした。


合併すりあわせ事務

 色々な意味で混乱をした支援費制度、2年目となりほんの少しだけ落ち着き始めた平成16年、今度は1市2町合併の障がい者福祉サービスのすり合わせ事務を経験しました。当時は1市2町のサービス内容にはいくつかの隔たりがあり、これを纏めることはかなり悩みました。合併することで新たに始まるサービスがある反面、廃止を余儀なくされるサービスもありました。事情により廃止しなければならないサービスについては、できる限り代替サービスを提示してご納得を頂いたのですが、使い勝手の問題等で色々と苦労しました。また廃止対象のサービス利用者からは「合併で廃止になるなら合併しなけりゃイイじゃん!何のための合併なの?」といった話をされた事もあり、返す言葉がありませんでした。
 この合併すり合わせ事務、それぞれの職員が障がい者の思いを背負っての交渉であり、会議中に喧嘩になることも何度かありました。また何とか合意にこぎ着けた事業も、福祉課に戻り上司に報告した途端に駄目出しを食らい、仕方なく再交渉をお願いしたことも…。今となっては笑い話の範囲ですが、当時は眠れぬ夜を過ごしました。
           
 実は合併すり合わせ事務は平成16年の夏前までに完了させなければいけなかったのですが、どうしても合意に時間が掛かり、結局全てが合意できたのは合併直前。当時ようやく完成した合併報告書類を提出後に庁舎内を歩いていたところ、ある先輩から「おっ、何か嬉しそうに歩いてるじゃん!良いことあったのか?」と聞かれ「合併すり合わせがようやく終わり、半年遅れでですが書類を提出できました!」と言うと、その先輩から思ってもいなかった言葉が…。
 「実はさぁ、寺田はいっつも暗い顔して俯きながら歩いているから声を掛けようにも掛けられなかっただよなぁ…」と言われ、俺ってそんな重苦しい雰囲気発散してたんだ!?と驚きました。


支援費制度から自立支援法、そして総合支援法

 平成15年度から始まった支援費制度は、平成17年度の合併という大仕事の年をもって終了し、その次は自立支援法、そして現在は総合支援法になりました。
 支援費制度の時に大混乱した国の予算も、自立支援法からは必須事業は負担金、その他は補助金とに分類され国の負担も明確になりました、とは言うものの補助金対象の事業については、依然として決まりどおりの金額が出た試しがありませんが…。
 僕は自立支援法がスタートした平成18年度を見届けて、19年度から他の部署に異動しましたが、振り返ってみると異動した14年度は支援費制度の準備、15年度は大混乱の中で始まった支援費制度1年目、16年度は合併のすり合わせ、17年度は合併初年度の混乱と18年度から始まる自立支援法の準備、そして18年度は自立支援法の一年目と毎年何か新しい事柄に取り組んでいた5年間でもありました。

 そして異動が決まった19年3月末、色々とお世話になった親御さん達から花束を頂いた時には驚きと嬉しさで涙を見せちゃう寸前でしたが、何とか我慢!これも懐かしい思い出です。

外から眺めた市役所

 19年からしばらく他の部署に異動していましたが、23年度に何の縁があったのか?再び福祉部門に戻り今に至っています。そして27年度には長い公務員人生の中で初めて役所という組織を離れて社会福祉協議会に出向という機会を得ることが出来ましたが、それまでドップリと漬かっていた「市役所の世界」を外から見ることが出来たことは極めて貴重な体験でした。
           
 社会福祉協議会はその名のとおり数多くの福祉事業を実施しており、また市から委託を受けて実施している事業も多く、市の福祉行政を推進して行く上で欠かす事の出来ない極めて重要なパートナーです。
 そんな重要なパートナーの予算の中で、極めて予算が少ない事業を見つけ、職員に「なんでこんなに(予算が)少ないの?」と質問したところ、聞かれた職員は呆れた顔をして「予算が少ないのは、昨年福祉課に居た寺田さんが削減を指示したからでしょ!」と言い返されて完全にフリーズ!苦笑いで誤魔化すしかったなんて事もありました。色々とあった1年ですが極めて有意義な時間を過ごさせて頂いた事は間違いありません。今後ともお互いに尊重、補完し合いながらこのまちの福祉の向上を図って行ければと思います。


またまた福祉課へ

 1年間の出向を経験し、28年度から三度目の福祉課勤務となり2年目を迎えました。
 現在の福祉課は生活保護などのを担当する社会福祉係と、障がい者(障がい児)への福祉サービスを担当する障がい者福祉係の2係で構成されています。どちらの係の仕事も華やかさはありませんが、無くてはならない仕事である事は確かです。

声なき声に耳を傾け

 福祉課は多くの皆さんからご要望やご意見をを頂きます。そしてそのどれもが生活に密着した切実な訴えであり、何とか実現できればと思いますが、色々な事情でどうしても要望に応えることが出来ない事の方が多いのが悩ましいところです。
 「少しでもこのまちの福祉を充実させたい」この一心で職員は日々の業務に励んでいます。私たちは聞こえてくる声が全てでは無く、声なき声にも耳を傾け、一時の感情や見栄えに惑わされる事無く、少しでもこのまちの福祉を前に進めて行きたいと思います。


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