八坂神社祇園祭
歴史・伝統・規模とも日本一を誇る祇園祭は「祇園さん」で親しまれ ている京都八坂神社の夏祭りです。この八坂神社で今から約1100年 あまり前、疫病退散を祈願して行われた祇園御霊会という行事が、 現在の祇園祭の始まりです。
こうした祇園牛頭天王の信仰は中世以後各地に天王信仰を生み、その 数3,053社にのぼりました。その一つが、応徳2年(1086年)に遠江 国中村(現:静岡県掛川市中)に勧請され、今も「中村のお天王様」 として多くの人に親しまれています。その例祭である祇園祭の神事と 祇園囃子は昭和59年(1984年)に静岡県無形民俗文化財に指定されて います。
中村祇園祭は、応徳2年(1086年)から現在まで約920年の伝統をもっていることが、古記録や古老の伝承でわかります。
この伝承を大きく分けると
前期 1086年から1446年までの360年間
後期 1446年から現在までの約560年間
京都祇園社が創建されてから次々に全国各地にお旅所を設けて牛頭天王が勧請された。歴史的に著名な土方(ひじかた)郷にも早くから天王社が勧請されており(土方青谷の里)、その御神体が亀惣川(かめそうがわ)の洪水のたび3度に渡って中村の現在の青谷の里に流れ着いたため、よくよくゆかり多き地としてここを青谷と名付けて祀ることにした。
昭和40年代の亀惣川改修の際、中村青谷の川底に立派な石畳の神社跡が発見されました。
ここに天王社(八坂神社)があったという事実と、相当大きな規模であったことも確認されました。
中村祇園祭は、京都八坂神社の祇園祭をほとんどそのまま伝承しています。これは、数百年という長い歴史の中で京都天王祭の本流やその変遷を知る者が中村祇園祭にその要素を取り入れたためでしょう。
考えられるのは、1446年に満勝寺(現:掛川市中)を創建した京都本満寺の日秀上人と愛弟子日住上人、その後歴代の上人が京都祇園祭を中村祇園祭に伝承指導したということです。
中村(掛川市中)に存在する神社は、満勝寺創建後に勧請されたものが多く、青谷にあった八坂神社も満勝寺創建後の1446年頃、現在の場所に移築されたと思われます。
満勝寺
八坂神社
神輿渡御
みくじ
満勝寺参拝
八坂神社参道に並ぶ提灯姿の山車
祇園牛頭天王につらなる社の祭は、多くは河川、井戸、海など水に関わりがあります。これはこの神が龍蛇の神であることをあらわしています。
本祭において山車による八坂神社までのお供がすみ、山車から松をおろせば、すでにそこには神が宿っていないことになります。
山車から松をおろしたときに、お囃子を一斉にやめ、提灯の火も 消すのはそのためです。
中村祇園祭では、青谷旧社前と八坂本社前で行われています。
神輿渡御の路の魔を祓い清める行事です。
神幸行事に携わる者が、遠州灘海岸で心身を清める行事です。
警護儀礼
警護は、一文字笠・扇子の姿です。京都では江戸時代中期頃出現しました。裃姿は江戸時代の武士の正装であります。それがなぜ当時の人々に許されたのでしょうか?これはいかにこの祭が格式高いものであったかを物語るものです。
警護は「警護の位取り」の式があってその任に就きます。
警護は各区を代表する最高の権威者であり、相互の儀礼、言葉、挨拶は極めて大切に伝承されています。
中村の警護の神前での作法は、正式参拝の儀法です。
封建時代の社会制度、風俗習慣をそのまま現在に伝えています。
お役人 警護 中老 若衆
中村八坂神社の神事と祇園囃子の記録(昭和62年10月 八坂神社神事と祇園囃子保存会)