佐夜鹿一里塚は、周辺の言い伝えによる里数や当初の東海道ルートを考えて56里目という説があります。しかし、元禄3年(1690年)の「東海道分間絵図」では52里に相当し、天保14年(1843年)の「東海道宿村大概帳」では54里に相当します。
東海道のルートは時代と共に若干の変更もありましたが、一里塚の位置が移動したという記録はなく、正確なことは分かっていません。
近くに鎧塚があります。建武2年(1335年) 北条時行の一族名越太郎邦時が世にいう「中先代の乱」のおり京へ上ろうとして、この地で足利一族の今川頼国と戦い、壮絶な討ち死にをしました。頼国は、名越邦時の武勇をたたえここに塚をつくり葬ったと言われています。
市指定文化財 史跡