室町時代、駿河の守護大名今川氏が遠江進出を狙い、家臣の朝比奈氏に命じて築城させたのが掛川城のはじまりです。
戦国時代には、山内一豊が城主として10年間在城しました。働き盛りの一豊は大規模な城郭修築を行い、天守閣、大手門を建設するとともに、城下町の整備や大井川の治水工事などに力を注ぎました。掛川は、一豊の人生にとって大きな意味をもつ土地であり、高知城は掛川城を模して作られたとも伝えられています。
現在の掛川城は、平成6年(1994年)4月に「東海の名城」と呼ばれた美しさそのままに、日本初の「本格木造天守閣」として復元されたものです。
掛川城周辺には、四季桜、しだれ桜、ソメイヨシノが約130本植えられており、毎年春には多くの人の目を楽しませています。
掛川城天守閣
掛川城の見どころ紹介
太鼓櫓
城下に時を知らせるための大太鼓を納めてあった建物です。
当時使われた大太鼓は現在、市の文化財に指定され、掛川城御殿の広間に展示されています。
外観のみ見学することができます。
四足門
調査では、門の跡は見つかりませんでしたが、正保城絵図を元に復元されました。門の内側には、入場者を調べる番所がありました。本丸に通じる重要な門でした。
三日月堀
本丸門の前面に配置された三日月状の堀です。深さは8メートルありました。調査では、堀の南側から石垣が見つかり、その下からは柱穴が並んで見つかりました。
内掘にはこの三日月掘の他、十露盤(そろばん)堀・松尾池などがあります。
霧吹井戸の伝説
東海を制す重要な拠点だった掛川城には、さまざまな言い伝えが残っており、霧吹井戸の伝説もそのひとつです。
西から徳川家康、東から武田信玄に攻められた駿河の今川氏真は、重臣朝比奈泰朝の掛川城へ逃げ込みます。この城を落とそうと家康が攻撃を仕掛けた際、井戸から立ちこめた霧が城をすっぽりと覆い隠し、徳川軍は攻撃できなくなったといいます。以来、掛川城は「雲霧城」とも呼ばれるようになりました。
霧吹井戸は、天守台の脇に現存しています。