長い放浪生活の末、ついに領主となった一豊であったが、家の台所事情の苦しさは相変わらずであった。1574年の秀吉の長浜城築城に出動した際には、家臣の夜食も用意出来かねる有様で、このときは千代が長い黒髪を切って売り、夜食の調達をしている。一豊は千代の助けにより領主としての面目を保つことができたのだが、この後さらに一豊は、妻千代に頭の上がらぬ内助の功にあずかる。
千代から黄金十両を受け取る一豊
(「千代と一豊・掛川館」リーフレットより)
1581年、信長が傘下の武将を集めての大馬揃えという一大イベントを開催する。ちょうどその頃、信長の安土城下に東洋一の名馬と謳われし馬を売りに来ていた者がいた。武将たちは我こそはとばかりにその馬に興味を示すものの、いかんせん黄金十両という価格の高さに手が出ない。一豊もその一人で、家に帰って千代にその馬の話をしてはため息を漏らすだけであった。ところがこの話を聞いた千代は、結婚の際に持参した鏡箱の底から黄金十枚を取り出し、一豊に馬の購入を勧めたのである。驚く一豊に千代は、この大金が嫁入りの際、夫の一大事に備えよと母から贈られたものであることを告げる。
清水銀行 掛川支店の外壁にある、
千代と駿馬に乗る一豊のレリーフ
大馬揃え当日、集まった武将たちの間では、一豊は貧乏ゆえに馬揃えを仮病で欠場するのではとの噂が流れていた。そこに、他を圧倒する駿馬にまたがって一豊が疾風のごとく参上したのである。一同は仰天、当然その駿馬は信長の目にもとまった。一豊から経緯を聞いた信長は、「もしこの馬を織田家中の者が買うことが出来ず、他家の者が手に入れようものなら物笑いの種になったであろう。よくぞ織田家の恥を未然に防いでくれた」と絶賛し、数多くの褒美を与えたという。
この一件以降、一豊は次第に信長、秀吉に重く用いられるようになっていった。