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第422回 「大尾山」と「カイドウ」と思い出

2013年5月10日更新

掛川市教育次長 平出 行良

4月末の連休に、4月中旬から下旬が見頃と言われる「カイドウ(海棠)」の花を久しぶりに見てみたいとの思いから、大尾山に登ってみました。資料によると、カイドウはバラ科の落葉高木で高さは3メートルから7メートルになり、紅紫色の花を咲かせるとあり、加えてご存じの方も多いと思いますが、大尾山のカイドウは市指定の保存樹木となっています。また、大尾山は市内最北部の黒俣(泉)にある八高山(標高832メートル)に次いで、市内2番目の高さ(標高661メートル)で、黒俣(泉)の手前の居尻にあります。
大尾山への登り口は、掛川バスサービスの「居尻」というバス停のところからで、ならここの里キャンプ場の対岸になります。バス停の脇には、「大尾山登山道」という石碑があり、そこからしばらくは原田地区北部の西之谷に至る林道を歩いていくことになります。
民家の間の曲がりくねった坂道を進んでいくと、「大尾山登り口」と書かれた標識の場所に至ります。ここから山道に入り、舗装された林道とは別れることになります。ここでしばし息を整えてから、山道を登り始めます。昔は木々がまだ小さく、眼下にはS君の家や小学校の建物が見えたなあと考えながら山道を進んでいくと、小学校当時のことが思い出されてきました。
私は原泉小学校の卒業ですが、私が通った原泉小学校は平成22年4月に西郷小学校に統合となり、その後原泉地域立森の都「さくら咲く学校」として管理・運営されている、萩間にあったあの小学校ではなく、現在は居尻公民館のある場所にあった原泉小学校に通学をしました。この小学校は昭和43年3月で閉校になったとのことでありますが、当時の校舎の一部(瓦屋根の部分)は今も公民館の隣にある茶工場として使われており、校門もそのまま残っていますし、校庭の隅にあった銀杏の木もさらに大きくなっています。
当時の原泉小学校には分校があり、それは大尾山の北側の明ヶ島というところにあって、記憶では当時の児童数は10人くらいではなかったかと思います。私の同級生は男子2人で、H君とY君で、中学校は原野谷中学校で一緒になりました。秋には、この大尾山に登り、そして反対側の明ヶ島に下っていって、明ヶ島分校で分校の友だちと一緒に運動会をやった記憶がよみがえってきました。分校は、明ヶ島キャンプ場の管理棟となっている場所にあって、狭い校庭のため走るコースはほとんど円に近い形であったように記憶しています。それから分校の先生は、明ヶ島が山間地で市街地から遠距離であったことから、よく覚えているK先生は、分校に寝泊まりしていたと思います。

山の手前にある小学校跡地。校門と思われる石碑が立っている。
小学校跡地

山の手前にある分校跡地。キャンプ用のテントがはられ、車も停まっている。
分校跡地

 

大尾山の登山道の話に戻します。途中、沢が流れる八丁という場所を通り、野鳥の声を聞きながら、そして山道が思った以上に整備されていることに安心しながら登っていくと、登り始めてから1時間足らずで開けた場所に出ました。そこは大尾山にあるお寺「顕光寺」の駐車場ですが、西之谷を経由して、ここまで車で来ることもできます。顕光寺は、大尾山山頂下にある真言宗醍醐派のお寺で、古くは山伏の修験道場であったというこのお寺の庭に目指すカイドウの花があるわけです。
駐車場からの参道はわずかの距離で、顕光寺にはすぐに到着し、お寺の赤い屋根が懐かしく目に入ってきます。境内に入らせていただき、進んだ左奥にカイドウの花がありました。が、花は少しばかり咲いているという程度で、見頃をとうに過ぎてしまった感じがして、また記憶にある木より少し小振りな感じがしました。写真を撮らせてもらっていると、ちょうどそこにお寺の奥様が出て来られ、見知った方ですので、しばしお話をしました。そのお話から、今年のカイドウは花芽が少なく、いつもの年に比べ花は寂しいものだったこと、そして花芽が少ないと言われたその木は昔からの木ではないこと、昔のカイドウの木は3、4年前に枯れてしまい、その同じ場所に小さな新しい木を植えていることなどを知りました。
左側の写真は今年の4月末のカイドウの状況で、手前の小さな木が昔のカイドウがあった場所に植えられたもので、右側は昨年の5月の連休時の写真で、知人からお借りしたものです。

今年のカイドウの写真で、花が少なく緑色の葉っぱが多くみられる
今年のカイドウ

昨年のカイドウの写真でピンクの花がたくさん咲いている
昨年のカイドウ

 

カイドウの花の後は、皆さんも知っている、山頂にある「鳥居スギ」です。顕光寺から山頂を目指して歩いていると、大尾山にお祭りがあって、この参道に屋台店が出ていたことに思い当たりました。大尾山のお祭りは3月だったと後で聞きましたが、小学生当時、お祭りのとき親父に連れられて何回か大尾山に登ったこと、売り言葉がおもしろかった屋台店のおじさんは、中学校に通うようになって原田の人だと知ったこと、おもちゃ類を買ってもらう機会の少なかった田舎の子どもには、楽しい時間であったこと等を覚えています。
山頂には観音堂があり、観音堂の手前の石段を登ったところの両側には、大きな杉の木が鳥居のように並んでいて、これが昭和33年に県から指定された天然記念物である「鳥居スギ」です。静岡県教育委員会と掛川市教育委員会連名の案内板には、樹齢は1,200年、樹高が33メートル、枝張り10メートルと記されており、階段右側の杉は落雷とその後の腐食のためか空洞になっており、幹の部分からは新たな根が育っているという、ホントに珍しい樹形となっています。

観音堂への石段の写真で、両脇に大きな木が植わっている
観音堂への石段

鳥居スギの幹を下から撮った写真で、幹に空洞がある
鳥居スギ

 

駐車場から山頂までの参道もそうでしたが、顕光寺や山頂の観音堂の境内もきれいに掃除が行き届いており、朽ちた枝などが落ちたままの状態になっていることもなく、下からの登山道にもゴミやタバコの吸い殻も落ちてないという状況にはびっくりしました。そのことに心地よさを感じ、顕光寺の奥様たちのご努力に感謝しながら下山しました。
登り始めたのが午前8時半頃で、下山は10時半過ぎとなりましたが、下山の途中で12人の方と行き交いました。女性の2人組が2グループ、親子4人、男性2人、母娘2人でしたが、大尾山に登る人が意外と多いことにうれしく思うと同時に、大尾山に登るこの人たちにも、ゴミなどを捨てたりせず持ち帰るように、また植物等をみだりに採取しないように、声に出してお願いをしたい気持ちになりました。
そして、下山後は「ならここの湯」で汗を流してからお帰りいただくことをお勧めしておきます。

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