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第487回 「森の都ならここ」と私

2014年7月4日更新

掛川市企画政策部付参与 小林 隆

市域の北部に位置する原泉地域は、市内最高峰の八高山832メートル、山岳宗教の大尾山661メートルなどがあり、原野谷川の水源の森を形成しています。この地域の中心に位置する居尻地区に「森の都ならここ」があります。
この「森の都ならここ」とは、地域の財産である森林の持つ水源涵養等の公益機能の維持増進を図り、自然体験の場、都市住民の交流の場としての森林の総合利用が求められていた昭和55年からキャンプ場の整備がすすめられました。当時は地域の活性化を図るために居尻地区を中心とした森林総合利用組合が管理、運営を行っていました。
その後、昭和58年、平成5年に国の補助事業を取り入れて施設整備を進め、平成7年に現在のキャンプ場が概ね完了いたしました。
私は、平成8年に人事異動により当時の農林課に配属され、平成17年までの10年間に渡り農林行政を担当させて頂き、「ならここ」とのお付き合いが始まりました。
平成15年には、地域の活性化と地域住民の待望でありました新たな施設として、「森の都温泉ならここ」が開館しました。この「ならここ温泉」につきましては、次の機会に改めてご紹介させて頂きたいと思います。
今回は、平成8年の農林課への配属前に私と「ならここ」との繋がりがありましたので、そのことにつきましてご紹介いたします。
そもそも「ならここの里」とは、都市(まち)の子供たちが自然不足で土に親しめない状況であることから、清い川の流れは一つの文化とか、森林キャンプの素晴らしさとかを味わう教育が極めて大切なことと考えられ、自然教育の場としてのキャンプ場を整備し、この居尻キャンプ場をキャンプならここ、森林浴ならここ、清流ならここ、山の幸・木の文化ならここ、という意味で、「ならここの里」と呼ぶこととなりました。
居尻キャンプ場は、平成7年には当時のアウトドアブームにより、入場者が年間76,000人となり、施設の管理運営をしていた地元組合の収入も50,000,000円を超えたことから、キャンプ場の施設管理と会計管理の徹底及び入場者への柔軟なサービスの提供を目的に平成7年4月に第3セクター株式会社森の都ならここが設立されました。このことにより当時の業務担当者でありました森林専門官(当時、林野庁から出向されていた井口さん)から、「森の都ならここ」のロゴマークを作成し、会社としての商標登録をするということで、ロゴマーク作成の依頼がありました。当時、色々な課等からイベントのチラシや看板文字を頼まれていたことから、私への依頼となったと思われます。当時の依頼は、絵の心得も無く、ましてやデザインの勉強も何もしていない私にとっては戸惑いもありましたが、大変光栄な依頼であり、自分のデザインが公共施設のマークになるならと、思い切ってお引き受けさせて頂きました。今考えれば、素人がよく引き受けたものと思いますが、今ではこのロゴマークは、私の宝ものとなりました。

採用された ならここの里のロゴマーク
採用作品

様々な字体やデザインのならここの里のロゴマーク
提案作品

 

この「ならここ」のデザインにつきまして少し説明をさせて頂きます。先ずイメージしたものは、優しくて、暖かな感じ。次に、「清流ならここ」の清らかな水が流れるように、また、「○○ならここ」に、インパクトを持たせることをイメージして作成しました。
このロゴマークは、「ならここ」の施設名としての看板に、食堂の箸とお土産の袋等に、勿論パンフレットにも使用されております。
このロゴマークは現在まで、多くの施設利用者の方々の目に触れられていることから、私にロゴマーク作成の機会を与えて頂きましたことを大変嬉しく、深く感謝しております。
今後も多くの方々に「森の都ならここの里」をご利用頂き、「ならここ」のロゴマークを目にされることがございましたら、「誰かの宝物」と思って頂ければ幸いです。

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