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第573回「道、橋、川の温故知新」

2015年11月10日更新

掛川市維持管理課長 杉山邦雄

はじめに

掛川市内の道路と河川に関わる業務などを担当しています。
現行の道路法が施行されて63年、河川法が施行されて51年、私たちの生活に欠かすことができない社会インフラの中から掛川に関わる道、橋、川の「一」にまつわる逸話などを紹介します。先人たちの「築土構木」にかけた苦難の歴史に思いをはせ、深い尊崇の念とともに、後生の世代にその志が引き継がれていくことを期待したいと思います。

1.中山新道…日本で一番最初の有料道路

料金徴収の説明が書かれた道銭場跡説明板の画像
道銭場跡説明板・附料金表

中山新道は、有料道路として建設を行った日本で一番最初の道路です。国土交通白書(2014年次報告)に、最初の道路法制(明治4年)の太政官布告に基づき、料金徴収を認めることによって私人による道路整備を行った例ということで東海道の小夜の中山峠の改修のことが紹介されています。場所は、現在のJR金谷駅から牧の原台地に向かって進み、諏訪原城跡の北側を超え、旧国道1号線に沿って現在の国道1号線小夜の中山トンネル付近の峠から、川向川沿いの旧国道1号線を日坂本町に至る全長6.7キロメートルの道路です。

 

現在の小夜の中山トンネルの峠付近のようす
小夜の中山トンネルの峠付近の現在

金谷宿の杉本権蔵らによって、人夫延べ数万人を費やして明治13年(1880年)に竣工し、当時、多い日には、荷車300台、旅客1,000人余りが通行したということです。明治22年、国鉄東海道本線の開通による利用者の減少で有料道路としての役目が終わり、明治38年(1905年)に国道になったということです。小夜の中山トンネルの峠に当時の名残があります。荒れた道の状況が、先人達の苦労を偲ばせます。当時、行き来した多くの旅人が、中山新道建設から135年経った今日の激しい車両の往来の情景を見たら、何と思うだろうかと、時代の移り変わりを思わずにはいられません。

 

2.潮騒橋…PC吊床版橋のなかで、国内で一番長い橋

吊床が4径間連続する珍しい構造の潮騒橋
菊川橋から望む潮騒橋

一級河川菊川の河口に架かる自転車歩行者専用橋です。静岡県が管理しています。
構造形式による分類では、吊橋となります。明石海峡大橋に代表される長大橋と同じ種別になります。構造は4径間連続上路式PC吊床版橋という世界初(一番)の珍しい形式の橋で、橋長232メートル(幅3メートル)の長さは、吊床版橋のなかで国内最長(一番)です。国内の他の橋は単径間の橋で、4径間連続は潮騒橋だけです。権威ある土木学会田中賞を平成7年度に受賞しています。

 

上流の東側から見た吊床版は迫力がある
上流東側から望む潮騒橋

橋脚からそれぞれ4つ弧を描いて垂れ下がったように見えるものが、よくある吊橋の張り渡したケーブルに代わるもので、コンクリートで固めた「吊床版」と呼びます。その吊床版の上に柱(鉛直材)をたてて、その上にもう一回通行面となる床版(上床版)をかけた方法を「上路式」といいます。私も最初にこの橋を見たときは、力学的にどういう構造の橋なのだろうかと不思議に思いました。橋の仕組みがわかるにつれて、画期的で合理的な構造であり、海岸付近の景観にもマッチした優れたデザインで、ランドマーク、また地域のシンボルとしての役割も果たす、掛川から世界に誇れる日本一の橋だと思います。

 

3.一豊が行った大井川の瀬替え 大井川の治水のため、山内一豊が築堤した堤

牛尾山と緑が広がる光景
南の牛尾山から望む一豊堤

島田市の横岡新田に、天正18年(1590年)一豊が築いた一豊堤と呼ばれる大井川の堤防が残されています。
文献によると、室町時代から戦国時代まで、この付近の大井川の流れは横岡辺りで牛尾山にぶつかり、現在の河道より西側の牧の原台地の山際を流れて、その後対岸の旗指・野田方面へ流れを変え大洪水を引き起こしていたといいます。そこで、駿河城主の中村一氏が、牛尾山と相賀の間の大井川の河床を掘削して、流れを直進させ、掛川城主の山内一豊がそれまでの流れの牛尾山と横岡の間に、約80間(約145メートル)の堤を築いて大井川の瀬替えを完成させたとのことです。その後、旧河川の跡が開墾され、新たに五和村(横岡新田、竹下、番生寺など)が誕生して掛川藩領(山内領)となり、この堤は現在も地元の人たちに一豊堤(横岡堤)と呼ばれ、石碑が建てられ大切にされているということです。

 

中村一氏と山内一豊の功績を称えるため立てられた石碑
中村一氏・山内一豊 顕彰碑

現地を訪れると、水神宮にある石碑とともに牛尾山に伸びる一豊堤の姿を見ることができ、当時の大工事の苦労と先人の苦難の歴史が偲ばれます。その堤の東には、既に立派な堤防ができており、さらに洪水を安全に流下させるために牛尾山を開削して河道を拡幅する平成の大改修(天正の瀬替えから約420年経過)が国土交通省により行われているということです。
一豊が、洪水防止と新田開発の土木工事を行ったことが、金谷宿(金谷河原)の発展を促し、約300年後の東海道本線の開通や中山新道開設につながっていると思うと、歴史の大きな流れとロマンを感じずにはいられない気がします。

 

おわりに

暦で、土木に関わる「〇〇の日」が結構たくさんあります。十一月十八日は土木の日です。「土木」を分解すると十一、十八になるからだとか…。ちなみに道の日は八月十日、川の日は七月七日です。そのような記念日に、道、川などの来し方行く末に思いを巡らしてはいかがでしょうか。「ふるきをたずねて新しきを知る」ことは、我々自身を識ることだと思います。
私たちの生活に身近な道、橋、川を大切にしましょう。