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第634回 伝統文化の担い手を育む小祢里(ちいねり)

2016年11月22日更新

掛川市消防次長兼消防予防課長 大石 和博

今回は、市内南部横須賀地区の小祢里(ちいねり)を紹介をします。横須賀地区には年2回の祭礼があります。4月に行われる三熊野神社大祭と、9月中旬の土曜日から日曜日にかけて行われる祭礼を「ちいねり」と言います。その歴史は明治の中期頃にまで遡ると言われ、当時の「ちいねり」は、2メートルから2.5メートルの木竹を荷車に立て祢里に見立てて引き回していたらしいです。昭和の時代に入り横須賀地区の西5町(東田町、西田町、大工町、東新町、西新町)から今の祢里の形となり、昭和30年頃には全町(12町)で立派な「ちいねり」を持つようになりました

もともと「ちいねり」は、三熊野神社大祭とは、別に、各地の氏神様(松室神社、愛宕神社、軍全坊神社、水神宮)の祭礼で、昭和30年代頃までは、年に3回、正月・五月・九月の各氏神様の当たり日に「ちいねり」を引き回していたと言われ、そのため、4月の大祭と合わせると年間に10回以上も祢里が出ていたことになります。このような事から他所から来た人からは、「横須賀は、年柄年中、祢里(ねり)が出ている。」と言われたそうです。

昭和40年代から年1回、9月に行われることとなり昭和47年からは、4月の大祭と同様にくじ引きから千秋楽まで三熊野神社で行われるようになりました。
また、12台だった「ちいねり」も西大渕、南番町が加わり、14台で毎年盛大に行われています。
「ちいねり」の特徴は、全国に例のない、中学生以下の子どもたちだけで、中学3年生をリーダーとして、準備からお囃子の稽古、当日の運行に至るまで、4月大祭と同様のことを行う「子どもたちによる子どもたちの祭り」です。
祭典当日は、春に行われる三熊野神社大祭の祢里に比べて、やや小型の祢里(ねり)を子どもたちが引き回します。

今年の祭典(小祢里)も、三熊野神社を中心に、本町通り(遠州横須賀街道)で行われ、9月17日昼祭り、夜祭り(各地区神社範囲内を引き回し)9月18日朝祭りが6時から始まり、 日中の昼祭り(横須賀地区内を引き回し)を経て、 夜祭り(横須賀地区内から三熊野神社・千秋楽)が21時まで盛大に行われ、千秋楽も無事にお開きとなりました

子どもたちは、この「ちいねり」で祭りの楽しさと同時に、厳しさや達成感のなかで、学校では決して学ぶことの出来ない、上下関係や仲間たちとの一体感を経験する事が出来ます。また、その経験を積んだ子どもたちは、次代の「三熊野神社大祭」を背負って、立派な担い手(ねりきち)として育っていくことでしょう。

狭いけいこ場にたくさんの子供たちが太鼓をたたいたりしている画像
稽古場の練習風景

地元では、山車のことをねりと呼ぶ。ねりを組立てるため綱でひっぱり倉庫から出している様子
組立風景

 

男の人がねりを組立てるために取り囲んでいる風景
組立風景

鉢巻をした子供たちがねりを引いている様子
ねりを引き回す子供達

 

きれいに装飾されたねりを法被を着た子どもたちだけが町内を引き回ししている様子
町内引き回し風景

ねりに、鉢巻をした幼児たちが乗ってピースしている
町内引き回し風景

 

こどもたちが、ねりを町内引き回している様子。2台のきれいに装飾されたねりがみられる。
町内引き回し風景

幼い子供たちが、ねりの綱を引っ張ている様子。楽しそうな表情がみられる。
町内引き回し風景

 

夜祭りの風景。ピースサインをして楽しそうな表情や、満面の笑みのこどもたち
夜祭りの風景

夜祭りでも、引き続きねりのつなを引いている子供たちの様子
夜祭りの風景

 

夜祭りの風景。2台のねりの提灯のあかりの赤と白のコントラストが美しい
夜祭りの風景

夜祭りの風景。ねりの提灯のあかりがひときわ目立つ
夜祭りの風景

 

きれいに装飾されたねりの提灯の明かりが、夜の暗闇のなかで輝き幻想的である。祭りにたくさんの人が来ている様子が見られる。熊野神社境内千秋楽の様子
三熊野神社境内千秋楽の様子