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第685回 西国三十三観音札所巡礼の旅

2017年9月15日更新

掛川市管材課長 村上将士

1 西国三十三箇所に行ってきました

「一番紀ノ国那智山 補陀洛や 岸うつ波は三熊野の 那智のお山にひびく滝津瀬」
母方の祖父母が亡くなった小学生の頃、今は亡き母に連れられてお念仏を上げに行った時、鐘の叩き方が上手いとおだてられた記憶が残っています。それが、西国三十三観音札所の御詠歌であることを大人になって知り、先輩の勧めもあって、5回に分け33札所の巡礼に行ってきました。

西国三十三観音巡礼は、北端は京都市宮津市、南端は和歌山県那智勝浦町、東端は岐阜県揖斐川町、西端は兵庫県姫路市の2府5県に点在する寺院を巡るものです。
巡礼の歴史は古く、当初は僧侶らの修行の一環としておこなわれていたようですが、鎌倉・室町時代には、巡礼が整備され、仏教の普及とともに民衆にも広まったようです。江戸時代には、お伊勢参りや熊野三山参りと結びつき、観光要素も備えた巡礼として人気を集めたようです。現在は、車で巡る事が出来ますが、昔は一歩一歩長い月日を費やし巡礼したかと思うと今更ながら先人達の苦労が忍ばれます。

一番 青岸渡寺の三重塔を下から見上げた様子
「一番 青岸渡寺」の三重塔

1番札所と33番札所の順番は決めていたので、「一番 青岸渡寺」は最初にお参りをしました。熊野古道を1時間ほど歩き、隣接する熊野那智大社を参拝し、青岸渡寺を訪れました。国の重要文化財に指定されている本堂を常香炉の煙がさらに幻想的にし、境内展望台から見る那智の滝はまさに日本の原風景といった感じでした。

 

八番 長谷寺の石段が続く様子
「八番 長谷寺の石段」

それからは、ゴールデンウィークなどの長いお休みを使い巡礼に訪れました。参拝予定はおおよそ立てていたものの、その通りにはいかず、拝観時間終了間際に訪れる場合もあり、「八番 長谷寺」では本堂まで約400段の石段を、琵琶湖を一望する「十四番 園城寺(三井寺)」では本堂まで一気に駆け上がった事を思い出します。所在地もそれぞれであり、「五番 葛井寺」「十九番 革堂行願寺」など都市の中にあるものや、「十二番 正法寺(岩間寺)」「三十番 宝厳寺」など自然の中にあるものなど、さまざまな礼所があり「四番 施福寺(槇尾寺)」は約30分の山道を日頃の運動不足を感じながら登りました。

 

2 見どころが満載の各礼所

十三番 石山寺にある巨大な珪灰石の岩塊
「十三番 石山寺」の珪灰石

御本尊は勿論のこと、本堂や山門にも国宝や重要文化財があり、それらを見る事も参拝の楽しみでした。中でも「三番 粉河寺」「二十七番 圓教寺」「二十八番 成相寺」には江戸時代の名工、左甚五郎作の彫刻が寄進されていたり、「二十七番 圓教寺」は清水寺と同様の豪快な舞台づくりやコの字に配置された3つのお堂が特徴的で、映画やテレビのロケにも度々使われているとのことでした。
かつては巡礼者が参拝の証としてお堂の天井や柱にお札を打ち付ける習慣があったため(今は駄目だと思います)雰囲気もそれぞれでした。多くの礼所が千年以上の歴史をもつだけに、その空間は非日常的であり、自然に手を合わせる事ができた様な気がします。特に「二十六番 一乗寺」や「二十九番 松尾寺」の静けさは印象に残るものでした。
仏像、建築、庭、アート、空間、景色などそれぞれの礼所に特徴があり、見どころが満載でした。

 

二十五番 播州清水寺にある十二神将の像
「二十五番 播州清水寺」の十二神将

二十七番 圓教寺にある舞台造りを下から見上げる様子
「二十七番 圓教寺」の舞台造り

 

3 まだまだ知らない風景へ

これまでにいろいろな寺院を訪れた事はありましたが、今回のように長い期間をかけて寺院を巡る事はなく、まだまだ知らない数々の文化遺産に触れることにより新たな発見をする事が出来ました。巡礼先の納経所では「今度で10回目の参拝です」と言う方や、所々で奉納されている宝印された笈摺などを見ながら、いつかまた西国三十三観音札所を訪れたいなと思いました。
今回の巡礼で、先祖の供養が少しは出来たかなと思いつつ、いずれは、板東三十三観音札所、秩父三十四観音札所を巡り、日本百観音巡礼を成就したいと思っています。

小さなだるまが集まっている様子
「二十三番 勝尾寺」のだるま

西国第三十三番満願成就 谷汲山 華厳寺と書かれた碑
満願成就の「三十三番 華厳寺」

 

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