総合トップ広報かけがわ2019年3月4日 関係者ら思いはせ 平和観音像を30年ぶりに修復
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2019年3月4日 関係者ら思いはせ 平和観音像を30年ぶりに修復

2019年3月4日更新

観音像の前で女性が手を合わせている様子
修復が完了した観音像に手を合わせる関係者

富士見台霊園(下俣)に建立されている平和観音像の修復が完了し、市は3月4日、報告会を同霊園で行いました。
高さ約3メートルのブロンズ製観音像は、遠州地方から出征し戦没した方たちの慰霊のために、大日本報徳社社長だった岡田良一郎と掛川報徳婦人会が発起人となり、明治40年に掛川城天守台へ建立。東京美術学校教授や帝室技芸員を務めた竹内久一(ひさかず)の明治期を代表する作品と言われています。
当初は「戦勝観音像」の名称でしたが、第二次世界大戦後に「平和観音像」として同霊園へ。その後、2回の修復を重ねてきました。
平成29年に約87万円を掛けて修復に向けての調査を実施。翌年に約440万円かけて、像の足下や右手指先にある機能していない水抜きパイプや穴を修復。鉄を使用している部分を錆びにくくするため、ステンレス製に交換するなどしました。
報告式で、修復を担当した業者は「この像は、寄付された古銭や古い鏡などの金属で鋳造されている。銅は多くないが緑青がきれいに吹く良い状態」と紹介。松井市長は「きれいに修復できてうれしく思う。戦争と平和を感じて、多くの方に観音像を見ていただきたい」と話しました。
月に2回程度、掃除をしたり花を変えたりして管理を行っている、掛川市遺族会の大田雅規会長は「戦没者の位牌がある建物の向かいに観音像があるのは意味深い。戦没者を末永く見守ってもらえたら」と話し、戦争で亡くなった人たちに思いをはせていました。

2019年3月4日

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