掛川城の歴史

2017年10月6日更新

武田信玄と徳川家康による今川攻めの説明図
武田信玄と徳川家康による今川攻め説明図

戦国時代、掛川は東海道の東西交通の要衝として重要な戦略拠点であったため、今川、徳川、武田氏など多くの武将がこの地をめぐって争いを繰り広げました。
掛川城は、室町時代に駿河の守護大名今川氏が遠江進出を狙い、家臣の朝比奈氏に命じて築城させたのが始まりです。しかし、今川義元が桶狭間で討たれると今川氏は力をなくします。1568年、武田信玄に追われて掛川城に逃げ込んだ今川氏真を徳川家康が攻め、半年に渡る激しい攻防戦の結果、家康は掛川城を手に入れます。

 

山内一豊像
山内一豊像

1590年、事実上の天下統一を果たした豊臣秀吉の命により、掛川城には「内助の功」で有名な山内一豊が入城します。一豊は戦乱で傷んだ城の大改築を実施し、同時に城下町の整備を行いました。
江戸時代になると、掛川城には徳川の譜代大名数氏が城主を引き継ぎ、最終的には太田氏(太田道灌の子孫)の居城となり、明治維新まで続きました。
しかし、1854年の嘉永の大地震により天守が倒壊し、その後しばらくは再建が行われることはありませんでした。

 

桜と青空の中に映える掛川城天守閣
春の掛川城

現在の掛川城は平成6年4月に、日本初の本格木造天守閣として復元されたものです。天守閣の再建にあたっては、山内一豊が築城した高知城を参考に、残された図面に基づき、樹齢300年を越える厳選された青森ヒバを用いて、「東海の名城」とうたわれた往時の美しさを忠実に復元しました。

 

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