3 庚申堂と秋葉常夜灯 庚申信仰の名残を見ることができます。庚申とは干支の組み合わせのひとつで、人の身についている三尸(さんし)が人の眠りに乗じて、その罪を天帝に告げたり人の命を短くしたりするといわれ、それを防ぐために庚申の夜は眠らないで過ごしていました。
4 塩屋跡 その昔、塩は生活の重要素材として扱われてきました。かつて塩問屋だった家が残されています。 道を挟んで流れる上小笠川に専用の河岸を設けて、相良から舟運によって運ばれた塩などの河岸上げしていたようです。
7 陣場峠 かつてこの場所は青田嶺と呼ばれていました。永禄11年(1568年)に徳川家康が掛川城を攻めた際、ここに陣を置いたため「陣場峠」と呼ばれるようになりました。 展望が良く、掛川市街を望むことができます。
10 高札場跡 高札場とは、幕府や領主が決めた法度や掟書などを高札と呼ばれる木の札に記して、掲示しておく場所のことです。多くの人の目につくように、村の中心や主要な街道が交錯する交差点といった人通りの多い場所に設置されていました。
11 キリシタン燈籠(大日寺) 明治初頭、大日寺の東側を通る「塩の道」の路傍に埋もれていたキリシタン燈籠が見つかり、寺の境内に安置されました。 燈籠は高さ約1メートルの織部灯篭の型で、竿石には婦人像が浮き彫りになっており、江戸中期につくられたものだといわれています。 市の文化財に指定されています。 市指定文化財 史跡
12 小貫屋(塩問屋跡) 当時この周辺には、相良方面から運ばれてきた塩を扱う塩問屋が、6軒あったと記録に残されています。 現在は塩町という地名が残り、かつて塩問屋だった小貫屋は現在コンビニエンスストアとなっています。
14 蕗の門(円満寺) 蕗の門は、かつて掛川城内にあり、城外・侍町より、本丸・二の丸・三の丸の要所を結んでいました。 廃城後の明治5年(1872年)、円満寺が買い受けて現在地に移築されました。 市の文化財に指定されています。 市指定文化財 建造物
16 道標(秋葉山遥拝所) 秋葉山遥拝所脇に設置されています。 かつては秋葉街道の入口として見上げるような大鳥居が建てられていたと伝えられ、歌川広重の「秋葉道追分之図」にも描かれています。 秋葉神社(掛川遥拝所)
18 宇洞トンネル 塩の道は本来、このトンネル手前から北へ入り、高藤城(殿谷城)址の下を通って、若一王子神社前へと続いていました。この道は現在ゴルフ場となっており、通行できないため、現在は宇洞トンネルを通って細谷地区から北へ向かいます。