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天王祭とは

起源

貞観11年(869年)全国的な流行病の蔓延に際し、ト部日良磨(うらべのひよしまろ)が勅を奉って、6月7日66本の矛を建てて牛頭天王を祀り、同14日にその神輿を神泉苑に送ったのが始まりで、天禄元年(970年)から毎年営まれることとなり、祭に山車が初めて登場したのは、長徳4年(998年)京都祇園御霊会だったということです。
もとは神の依代(よりしろ)でしたが、その後様々な飾りをつけ人の肩や車をつけて運び多くの形態を生みました。保元2年(1157年)に鉾が姿をみせるようになったと伝えられています。
特に山車や屋台を曳き出して華やかな行装をくりひろげる祭が現在全国的に広がりをみせていますが、その源流はすべて祇園祭であるともいえます。

竜神・水神

祇園社の神紋は昔から知られているように、か文と左三つ巴です。
これらはともに水神にゆかりのものです。か文というのは瓜(うり)を輪切りにしたような形のもので、左三つ巴は龍蛇の形、つまり龍とその供物として瓜をあらわしているわけです。天王に瓜を供えるならわしは、古くから伝わっています。
こうして祇園社の祭は、多くは井戸、河川、海といった水に関わりが多く、道具類幟、彫刻等には龍蛇が頻繁に描かれています。これは中村祇園祭にも深い関わりがあります。

年表

年代 中村 京都
平安869年 - 京都祇園御霊会を修す
平安970年 - 御霊会を定例とす
平安998年 - 標山類似の柱を渡す
平安1086年 素我神社創建 -
平安1086年 応徳2年 中村郷青谷に天王社勧請 -
鎌倉1225年 - 祇園社に長刀を調進す
鎌倉1345年 - 定鉾例の如く、山以下渡る
室町1443年 - 鉾山以下風流例の如し
室町1446年 満勝寺創建 -
室町1447年 八幡社創建 -
室町1491年 神明社創建 -
室町1586年 赤山神社創建 -
室町1587年 八坂社・八幡社修築 -
室町1587年 諏訪神社創建 -
江戸1649年 白山神社創建 -

この年表により中村の神社は、満勝寺創建後に建てられたものがほとんどであることがわかります。
そして天正時代の高天神城攻防の直後に創建再造が多いことに注目されます。
これは高天神城攻防時、中村の人々は各地(富士・信州・諏訪地方)に避難したが、のち帰村して神社を創建したものと思われます。

参考文献

中村八坂神社の神事と祇園囃子の記録(昭和62年10月 八坂神社神事と祇園囃子保存会)

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