国指定重要文化財 指定名称:旧遠江国報徳社公会堂(大日本報徳社大講堂)
平成21年4月17日、国の文化審議会で、大日本報徳社大講堂を国の重要文化財に指定するよう文部科学大臣に答申しました。これを受け、答申通り同年6月30日付の官報(号外138号)に告示され、正式に重要文化財になりました。
市内の重要文化財指定は、掛川城御殿に次ぎ2件目の指定です。
明治36年(1903年)に建築
正門をくぐると正面に建っているのが大講堂です。日本瓦の大屋根、漆喰塗りの外壁、洋風の丸みのある窓等、荘厳な重みが感じられる和洋折衷の建物です。
この大講堂は、報徳運動の拠点として明治36年に建設され、当初は「遠江国報徳社農学社公会堂」と呼ばれていました。公会堂として建てられた建物では日本で2番目に建築され、現存する公会堂としては最古の建築物となるため、貴重な文化施設です。
大日本報徳社大講堂の外観
大講堂の内部
木造2階建ての和風建築で、内部は周囲に廊下をめぐらせ、1階には81畳の大広間、正面に演壇が設けられています。2階は吹き抜けになっており、洋風の造りで周囲がギャラリー(観覧席)となってます。現在でも、常会や講演会、研修会等に使用され、報徳精神の普及に大きな役割を果たしています。
平成の大改修
平成16年からは、静岡県および掛川市の補助金に加え、掛川信用金庫を始めとする企業や市民、報徳社社員の寄付を募るなどし、修復や耐震工事が行われ、現在に至ります。
大日本報徳社正門
道徳門・経済門と刻まれている正門左右の門柱は明治42年の建立。これは道徳と経済の調和した社会づくりをめざす、報徳の教えを象徴しています。
(静岡県指定文化財)
大講堂大広間
明治36年に建てられた大日本報徳社の中心的かつ象徴的な建造物。この大広間で、さまざまな報徳教化活動が行われてきました。
わが国屈指の大規模近代和風建築として知られています。
(静岡県指定文化財、国重要文化財)
仰徳(こうとく)記念館
明治17年、東京霞ヶ関に有栖川宮邸として建てられた日本館の一部が、昭和13年、当時の一木喜徳郎社長の尽力によって、宮内庁から下賜、移築されました。現存する宮家の数少ない貴重な建造物です。
(静岡県指定文化財)
仰徳記念館・暖炉
随所に格調高いしつらえが凝らされたこの建物は、有栖川宮邸として利用された後、帝室林野局庁舎、さらには霞ヶ関離宮としても使われた歴史があります。
仰徳学寮
仰徳記念館とともに移築された有栖川宮邸の一部。講堂の前方北寄りに位置し、東西に棟を向けて建つ木造総二階建て寄棟造りの建物です。
(静岡県指定文化財)
冀北(きほく)学舎
明治10年から17年、岡田良一郎が掛川市倉真の自邸に開いていた北学舎は、その使命に幕を閉じた後、この地に移築され、明治期の報徳運動を今に伝える貴重な建造物として保存されています。
(静岡県指定文化財)
淡山翁(たんざんおう)記念報徳図書館
大日本報徳社第二代社長であった岡田良一郎(淡山)の多大な遺徳を記念し、昭和2年に建てられた鉄筋コンクリート造りの図書館。
建築学的に見ても、往時の図書館様式を今に伝える貴重な建造物です。
(静岡県指定文化財)
報徳の教え「四つの柱」
報徳の思想を形成する四つの柱は、「至誠」「勤労」「分度」「推譲」という言葉で表されています。
「至誠」
すべてのものに良い結果を与える理念として、「まごころをもって事に当たる」ことを尊徳は教えている。人に対して才知や弁舌は有効かも知れないが、鳥獣や草木を説く事は出来ない。至誠と実行は米麦、野菜、うり、なす、草木にまで繁栄をおよぼす重要な教えであると説いている。
「勤労」
「勤労」は、「積小為大(せきしょういだい)」という言葉に代表される考え方です。大きな目標に向かって行動を起こすにしても、小さなことから怠らず、つつましく勤めなければならないということ。「今まく木の実、後の大木ぞ」という尊徳の有名な言葉が残されています。
「分度」
「分度」とは、適量・適度のこと。分度をしっかり定めないままだから、困窮してしまうし、暮らし向きも楽にならない。家計でも仕事でも、現状の自分にとってどう生き、どう行うべきかを、知るということが大切だという考えです。
「推譲」
「推譲」とは、肉親・知己・郷土・国のため、あらゆる方面において、譲る心を持つべきであるという考え。分度をわきまえ、すこしでも他者に譲れば、周囲も自分も豊かになるものだという教えです。