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第410回 わが町紹介 松ヶ岡その2

2013年2月15日更新

掛川市・袋井市新病院建設事務組合事務局長 中山 富夫

掛川市役所屋上から掛川城方面を眺めると掛川西高の手前の市街地に緑がこんもりと残っているところが見える。旧東海道を連雀、中町、西町と西へきて十王に入り、少し北側に入ったところに位置しているこの場所が「松ヶ岡」と呼ばれるお屋敷であります。
一昨年の寸感ホットページにも紹介させていただきましたが、このたび掛川市がこの「松ヶ岡」を取得したことから、再度ふれさせていただくこととしました。

正面から見た長屋門の写真
正面・長屋門

「明治天皇掛川行在所」石碑の写真
「明治天皇掛川行在所」石碑

 

「松ヶ岡」は、掛川御三家のひとつ、掛川藩御用達をつとめた豪商・山崎家のお屋敷で江戸末期に建てられたものであります。その後、8代目当主・山崎千三郎氏が明治11年の明治天皇巡幸に備えて大改築をされ、明治天皇が京都より御還幸の際、10日間自宅を開放してご宿泊を賜ったといわれ、戦前は文部大臣から史蹟として指定されていて、現在でも入り口・長屋門の脇に「明治天皇掛川行在所」の石碑が建っています。また、このお屋敷の北側はすぐ逆川で、この川沿いの緑の精神回廊を多くの方がウォーキングで行き交うところにもなっています。

逆川ウォーキングコースから松ヶ岡を臨む

新知出合橋を手前から見た写真
新知出合橋手前から

逆川・城下橋から見た写真
逆川・城下橋から

 

この「松ヶ岡」という名前は、この地にお屋敷が建てられる際、松を植え、豪邸を建築したことからこう呼ばれるようになったそうで、その由来となっている赤松もお屋敷全体の大きな緑のかたまりの一部としてとけ込んでいます。
建物そのものは近代和風建築の貴重なものと言われ、内部に使用されている材料も建築当時の最高の材料が多く使用され、その建築技法も優れたものであるとうかがっています。内部を見学すると、床の間には立派な床柱、脇の琵琶台、廊下には蒲鉾型天井、建築当時の古い窓ガラスや丸い鏡がモダンな感じの明治天皇姿写鏡などが見られ、以前、この山崎家が私財を投じて作られた町内の屋台修復に関わった木曽の漆職人さん達と一緒に見学した時も皆さんがその材料の素晴らしさや造りに驚いていたことを思い出します。
また、現在では枯れてしまっていますが、お屋敷のまわりには石で組まれた堀がめぐらされていて、自分たちが子供の頃には水を十分に湛え、ザリガニ釣りなどをした記憶がよみがえります。

敷地内の堀の現在の様子の写真
敷地内の堀(今は水は無い)

この「松ヶ岡」は掛川市により取得され、文化財的、学術的な調査をしたうえで、その後の保存活用について検討されることとなっています。文化財として、郷土の発展に大きく貢献された山崎千三郎氏の功績を顕彰する場として、さらには市民の憩いの場として等々、保存活用について様々なことが考えられていますが、まずは、多くの方に知っていただき、関心をもっていただければと思っています。

地区史「十王ものがたり いつか来た道」から

明治時代十王町家並絵図
明治時代十王町家並絵図
北側の逆川沿いに山崎家
(画像をクリックすると、拡大できます)

昭和8年大祭松ヶ岡長屋門前記念集合写真
昭和8年大祭
松ヶ岡長屋門前記念撮影

 

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