一豊、掛川城および城下町を整備する(1590から1600)

2017年10月6日更新

掛川城郭とその周辺を描いた図
今川・徳川時代の掛川城郭。
城下町の武士以外を城内に囲い込まない
平山城形態の中世城郭が特徴。

1590年の小田原攻めの戦功にて掛川5万石を拝領した一豊は、1600年までのおよそ11年間に渡り城主として掛川に在住する。 着任早々、一豊は掛川城の大規模な改築に着手する。それまでの掛川城は中世城郭の域を出ない平山城形態の城であり、戦火による傷みも激しかったが、一豊は当時最先端の築城技術を用いて、これを近世城郭へと改造整備する。

 

一豊の城郭造りの特徴は大きく、(1)天守閣の築造、(2)城郭の大規模化、(3)惣構えが挙げられる。天守閣は1592年から約5年もの年月をかけて築造された。最上部の高欄は一豊の好みによってめぐらされたものである。また、城郭の整備は本丸をはじめ城の核心部は既設のものの修復だが、ほぼ新設に近く、さらに二の丸、三の丸が新設された。
惣構えとは、従来の城郭が城下町の武士以外の者を城内に囲い込まない形態であるのに対し、町民をも城内に囲い込む形態をいう。小田原城がこの形態で長期の持久に耐えたことから、その後各地にてこの方式が採られ一豊もこれを採用している。

四角に整備された掛川城郭の図
山内一豊が整備した掛川城郭。天守閣を創建し、城郭を大規模に改築。
また町民のいる城下町を囲い込む近世城郭の形態が特徴。

このような大規模な城郭改造の許しが出たのも、秀吉が関東に移封された家康を抑えるための防衛拠点として掛川城を考えていたためと思われる。
こうして一豊の在城した11年の間に、掛川は大きく発展を遂げる。

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