2 蕗の門(円満寺) 蕗の門は、かつて掛川城内にあり、城外・侍町より、本丸・二の丸・三の丸の要所を結んでいました。 廃城後の明治5年(1872年)、円満寺が買い受けて現在地に移築されました。 市の文化財に指定されています。 市指定文化財 建造物
4 本陣跡 江戸時代に諸大名が江戸と国元を往復した時の旅館にあてた宿駅の宿泊所を本陣といいます。屋敷規模は総坪457坪余、表間口16間3尺3寸(約31メートル)あったといわれ、いかに広かったかが偲ばれます。
5 掛川城天守閣 室町時代中期の文明年間(1469年から1487年)に、駿河の守護大名今川氏が遠江進出を狙い、家臣の朝比奈氏に命じて築城させたと伝えられています。 明治維新とともに廃城となりましたが、平成6年(1994年)に「東海の名城」と呼ばれた美しさそのままに、日本初の「本格木造天守閣」として復元されました。 掛川城
6 掛川城御殿 城主の公邸、藩の役所、公式式典の場などとして使用されていました。 現存する御殿は、江戸時代後期に再建された建物で、全国で数カ所にしか残っていない大変貴重なものとして、国の重要文化財に指定されています。 掛川城御殿
8 大日本報徳社 二宮尊徳の唱えた報徳思想の普及をめざし、困窮にあえぐ農民の救済をめざした報徳運動が全国に広まりました。明治初期、報徳運動の中心機関として大日本報徳社がこの地に設立されました。 国の重要文化財に指定されています。 大日本報徳社
9 大手門 大手門は天守閣に続いて平成7年に復元されたものです。掛川城の表玄関にふさわしい桜門造りの本格的な櫓門は、木造日本瓦葺き入母屋づくり。白壁で板ひさしが配され、棟上にはシャチ瓦が飾られた勇壮な構えです。実際は現在地より50メートルほど南にありました。 大手門・大手門番所
10 ゲイスベルト・ヘンミィの墓(天然寺) 江戸時代の長崎(出島)のオランダ商館長であったゲイスベルト・ヘンミィは将軍徳川家斉に謁見後、長崎へ帰る途中に掛川宿で客死し、天然寺に葬られました。 墓石は当時のオランダ人墓の意匠を現在に伝えるものとして、市の文化財に指定されています。 市指定文化財 建造物
11 高札場跡 高札場とは、幕府や領主が決めた法度や掟書などを高札と呼ばれる木の札に記して、掲示しておく場所のことです。多くの人の目につくように、村の中心や主要な街道が交錯する交差点といった人通りの多い場所に設置されていました。