記事

トップ記事遠州横須賀三熊野神社大祭

遠州横須賀三熊野神社大祭

令和4年の三熊野神社大祭は、4月2日(土)、3日(日)の2日間の開催となります。
なお、新型コロナウイルス感染症拡大防止の観点から、神事や祢里の曳き廻しなど大祭行事の観光客の皆様の観覧はご遠慮ください。

※奉納祭や千秋楽、神事など三熊野神社境内で行われる祭典行事は、三熊野神社境内の入場制限により観光客の皆様の観覧はできません。
※掛川駅南口⇔大須賀支所間の無料シャトルバスの運行は中止です。
※4月2日(土)に予定されていた交流会は中止です。
※今後の新型コロナウイルスの感染状況により内容が変更となる場合がございます。

 

 

~三熊野神社奉納祭2022 YouTube LIVE配信~

4月2日(土)10時30分からの三熊野神社奉納祭は無観客での実施となりますが、下記URLよりYouTubeでのLIVE配信の視聴が可能です。

また、掛川駅構内「旅スタ」および「こだわりっぱ西建物」にて同奉納祭のLIVE中継を9時から放映します。

ぜひご覧ください

https://www.youtube.com/channel/UCO3hS5Go2T066Vtrzjtcr9Q

IMG_3604.jpg

桜も咲き誇る4月の第1金曜日・土曜日・日曜日の3日間、遠州地方の祭りのトップを飾る遠州横須賀三熊野神社大祭が盛大に行われます。
この大祭の見どころは、神輿の渡御とそれに従う華やかな13台の祢里(ねり)の曳き廻しです。笛と太鼓が奏でる祭囃子、そして「シタッ!シタッ!」の掛け声とともに町中を威勢よく曳き廻される祢里の、勇壮かつ華麗な姿に人々も引き込まれ、町は祭り一色となります。

華やかな数台のねりをたくさんの法被姿の人が曳き廻している様子
遠州横須賀三熊野神社大祭

歴史

江戸天下祭の様子を表した元禄時代の鮮やかな絵図
江戸天下祭の様子を表した絵図

江戸時代の元禄年間(1690年頃)には既に踊りを主体とした祭りが存在していたようですが、現在の様式の原型が作られたのは、享保年間(1720年頃)、当時江戸幕府老中職にあった第14代横須賀城主 西尾隠岐守忠尚(にしおおきのかみただなお)公が、当時の江戸天下祭(神田・山王両祭礼)の祭り文化を横須賀の地へと伝えてからだといわれています。以来、子々孫々と受け継がれてきた280余年の伝統を誇る祭りです。

 

祢里(ねり)

横から見たねりの詳細図、各部位の名称を紹介
祢里・詳細図

横須賀では、山車のことを「祢里」(ねり)と呼びます。この祢里の曳き廻しは神輿渡御のお供としての性格を持ち、各種神事の付け祭りとして発達してきました。
この祢里の形態は「一本柱万度型」といわれ、江戸中期の天下祭を克明に描いた「神田明神祭礼絵巻」の中に、ほぼ同一のものが見られます。
この形態を持つ山車は、発祥の地東京ではすでに姿を消し、現在ではこの横須賀地区とその近隣に残るのみで大変貴重なものです。

 

三社祭礼囃子

祭りの時、祢里の上で奏でられ祭りを盛り上げる三社祭礼囃子は、江戸中期の享保年間、横須賀城主 西尾隠岐守忠尚公が参勤交代の折りに、その御家人衆が習ったものが原型とされ、以後横須賀独自の調子が加えられ、今日の形となりました。
曲目は、大間(おおま)、屋台下(やたした)、馬鹿囃子(ばかばやし)の道中囃子三曲と、昇殿(しょうてん)、鎌倉(かまくら)、四丁目(しちょうめ)の三曲からなる役太鼓があります。
囃子道具として小太鼓2 、大太鼓1、すり金1、特一本調子の篠笛2が用いられます。また、この演奏にあわせて「ひょっとこ」「おかめ」の面をつけた手古舞(てこまい)がつきます。
三社祭礼囃子は、古い歴史とその比類のない名調子を認められ、昭和30年に静岡県指定無形文化財第1号に指定されました。

踊るおかめと太鼓をたたく青年
おかめと太鼓

日の丸の扇子を両手に持って踊るひょっとこの手古舞
ひょっとこの手古舞

 

ダウンロード

関連リンク

カテゴリー

お問い合わせ

観光交流課 観光交流係

電話:
0537-21-1121
Fax:
0537-21-1164
   閲覧履歴
チャットボット:僕に何でも聞いてね

チャットボット

閉じる

こんにちは! 掛川の観光についてただいま勉強中です。 掛川について気になることを、たずねてみてね! ご質問はフリーワードまたは次の項目から選んでね。