建造物
2020年4月9日更新
市指定文化財 建造物
令和2年4月9日現在
写真 | 名称 | 指定 年月日 |
所在地 | 所有者 | 概要 |
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掛川城 太鼓櫓 |
昭和35年 5月31日 |
掛川 | 掛川市 | 安政元年(1854年)の大地震後に二層櫓として再建。時を知らせた大太鼓は、御殿にある。 | |
掛川城蕗の門 | 昭和48年3月28日 | 掛川 | 円満寺 | 掛川城の内堀(蓮池)畔にあった四脚門で、廃城後の明治5年(1872年)円満寺に移築された。 | |
本源寺山門 | 昭和48年3月28日 | 西大渕 | 本源寺 | 横須賀城の門を移築したと伝えられる山門で、間口2.9メートル、奥行き1.99メートルの規模。 | |
撰要寺不開門 | 昭和48年3月28日 | 山崎 | 撰要寺 | 横須賀城の搦手門を移したもので、城内の死者や罪人を出した不浄門であることから、不開門と呼ばれた。 | |
横須賀町番所 | 昭和55年4月1日 | 西大渕 | 掛川市 | 安政3年(1856年)に建てられた。元は、横須賀城と城下町の境界にあり、人の出入りを監視していた。 | |
大手門番所 | 昭和55年8月20日 | 城下 | 掛川市 | 掛川城の正面大手門の内側にあり、城内へ出入りする人を調べた。安政元年(1854年)の地震で倒壊し、安政6年(1859年)に再建された。木造平屋入母屋造桟瓦葺の正面5間、奥行き2間の建物。 | |
普門寺弁天堂 | 平成10年11月27日 | 西大渕 | 普門寺 | 嘉永3年(1850年)、諏訪立川流の立川(宮坂)昌敬の建設、特に彫刻は見事である。 | |
八所神社旧社殿 | 平成10年11月27日 | 西大渕 | 普門寺 | 宝永5年(1708年)と安永3年(1774年)の棟札が残る。宝永5年のものには、大工と寄進者の名がある。 | |
旧日坂宿旅籠「川坂屋」 | 平成13年2月27日 | 日坂 | 掛川市 | 旅籠屋として明治の初めごろまで続いた建物。精巧な木組と細かな格子が特徴的である。 | |
旧観音寺石塔「貞和二禩」の銘がある | 平成14年3月26日 | 上西郷 | 法泉寺 | 銘文にある貞和2年(1346年)は北朝年号で、歴史的な資料価値が高く貴重な文化財となっている。 | |
吉岡彌生移築生家 | 平成16年4月8日 | 下土方 | 掛川市 | 郷土の偉人「吉岡彌生」の生家を移築したもので、江戸時代から続く土方村の鷲山医院。ここで生まれ育ち東京で女医となり、東京女子医科大学を創設する。 | |
貞永寺本堂 | 平成17年2月4日 | 大坂 | 貞永寺 | 臨済宗寺院本堂に顕著な大型の方丈建築。江戸時代前期の様式を基調とし、造営時期を特徴付ける細部意匠もよく戻り、内陣では新たな須弥壇形式を採るなど、方丈形式の変遷課程を示す遺構として貴重。 | |
ゲイスベルト・ヘンミィ墓 | 平成18年2月24日 | 仁藤町 | 天然寺 | 旧オランダ東インド会社の商館長で寛政10年(1798年)3月に将軍家斉に謁見し、4月に掛川宿本陣へ投宿。24日に死去、25日に天然寺に葬られた。墓石は蒲鉾形で、当時のオランダ人墓の意匠を現在に伝える。 | |
竹の丸(旧松本家住宅)主屋1棟、離れ1棟、土蔵2棟、米蔵1棟、番屋1棟 | 平成19年1月30日 追加指定:平成20年5月29日 |
掛川 | 掛川市 | 江戸時代より続く葛布問屋で、掛川藩御用達を務めた豪商である。主屋は明治36年に築造され、桁行九間半梁行七間の平屋建寄棟造である。離れは大正末期から昭和初期にかけて平屋建から二階建に増築されている。いずれも近代豪商住宅の様相を今に伝える貴重な建造物である。 | |
旧日坂宿旅籠「川坂屋」茶室 | 平成19年1月30日 | 日坂 | 掛川市 |
江戸後期に掛川藩主太田資順が西南郷久保沢の偕楽園内に建て、明治初期、太田侯が掛川を離れるに伴い旧東海道日坂宿川坂屋に譲られ、当屋敷地内に移築されたものである。戦後、解体され保管されていたが、平成15年に当初の状態に再建された。この茶室は歴史的にも幕末建築としても価値があり貴重な建造物である。
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松ヶ岡(旧山﨑家住宅) | 平成28年2月22日 | 南西郷 | 掛川市 | 江戸時代後期の豪商の建物で、建造物調査により棟札が発見され、安政3年(1856)の建築が確定した。主屋、長屋門、中門などは建築当時のまま残されており、いずれも厳選された第一級の材料をもって丁寧な細工によって建築されている。また、「松ヶ岡」の起源となった赤松も残り、建物と庭園が全体的に江戸時代後期の屋敷構えをほぼ原型のままに残していて、貴重である。 |
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